米大統領選を決するのは「中西部」
トランプ氏、白人労働者とサンダース支持者にロックオン
トランプ家の最終兵器、長女イバンカ氏は父親の指名受諾演説の直前に登壇するという難しいタスクを完璧にこなしたが…。(写真:ロイター/アフロ)
7月18日に、米オハイオ州クリーブランドで幕を開けた共和党の党大会。ここでドナルド・トランプ氏が正式に党の大統領候補に指名されて、4日間の日程を終えた。
昨年6月に立候補を表明した際は泡沫候補扱いで、すぐに消えると思われていた。勝ち抜くと信じていたのはトランプ氏と、その周辺以外にはほとんどいなかったに違いない。だが、大方の予想に反してトランプ氏は大統領選のチケットを手に入れた。死屍累々を乗り越えて。
ダークな雰囲気に満ちあふれた指名受諾演説
その選挙戦はどこまでも型破りだった。従来の候補者のように広告宣伝に大量の資金を投下するのではなく、もっぱらツイッターで熱狂的な支持者を獲得した。ツイートの多くは、メキシコ人やイスラム教徒、ライバル候補に対する罵詈雑言だ。だが、通常であれば政治生命を失うような暴言も、「正直」「率直」「タフ」といったポジティブな言葉に置き換わり、フォローの風になっていった。
選挙戦の序盤、元フロリダ州知事のジェブ・ブッシュ氏や上院議員のマルコ・ルビオ氏は、努めて米国の未来を前向きに語ろうとしていた。だが、トランプ氏が駆り立てる「怒り」や「不安」を前に、選挙戦は徐々にダークな色彩を帯びていく。その後ろ向きの渦の中に、ブッシュ氏やルビオ氏などのライバル候補は飲み込まれていった。
当然のように、トランプ氏による7月21日の指名受諾演説も、怒りと不安にあふれていた。トランプ氏が訴える基本的な構図は、「何者かに脅かされる米国」である。
トランプ氏は主要都市で増加に転じた殺人の数や、米国各地で相次いでいる警官の殺害事件に言及、不法移民の増加で米国の平和が脅かされていると強調した。
またトランプ氏は「TPP(環太平洋経済連携協定)が米国の製造業を破壊する」と明言し、輸出国との不公正な貿易で米国の雇用が脅かされていると主張。
さらに、トランプ氏は大企業やロビイストが政治経済システムを操作しているとして、一部の支配階級の利害のために米国の生活が脅かされていると訴えた。
トランプ人気を支える、長女イバンカ氏
確かに、仏ニースでのテロやトルコでのクーデター未遂、フロリダ州オランドやテキサス州ダラス、ルイジアナ州バトンルージュにおける乱射事件など、米国の内外で不穏な空気が漂っている。
マサチューセッツ工科大学のデービッド・オーター教授など3人の経済学者がまとめた論文“The China Shock”が描き出したように、中国のWTO(世界貿易機関)加盟以降、工場の海外移転などで多くの雇用が失われたのも事実だ。民主党の指名争いを戦い抜いたバーニー・サンダース上院議員が「1%」と「99%」を争点に掲げたように、グローバリズムの進展とともに持つ者と持たざる者の格差も大きく広がっている。特に下層に転落しつつある中間層の不満は大きい。
だが、客観的に見れば、米国は今なお世界有数の豊かさを誇る経済大国だ。豊かさは過去や隣人に対する相対的なもので、マクロデータと人々の感覚値は往々にして異なるものだが、「米国はかつてないほど危険な状況にある」と叫び、「法と秩序」の回復を連呼するほど破滅的な状況にあるのかどうか。
トランプ氏の演説の直前に登壇した長女、イバンカ・トランプ氏の演説は、ダイバーシティを重視する父親の一面を反映しており、優しさと希望にあふれていた。“トランプ家の最終兵器”の名に恥じない演説だった。それだけに、被害者意識を前面に押し出したトランプ氏の演説との落差は激しかった。翌日のメディアを見ても、“dark”“hopeless”“doom(破滅、悪い運命)”など、指名受諾演説の見出しとは思えない言葉がヘッドラインにあふれた。
党大会を通して感じたことは他にもある。一つは共和党のぬぐいがたい分裂だ。
党大会で採択された政策綱領やトランプ氏の演説は、その多くで従来の共和党の主張とは異なっている。元来、共和党は自由貿易を推進する立場だが、トランプ氏は明確に反対している。しかも、政策綱領には「米国を第一に置く、よりよい条件の貿易協定が必要だ」とあるだけで、NAFTA(北大西洋経済連携協定)やTPPの名称は明記されていなかったが、受諾演説ではTPPの離脱やNAFTAの再交渉を明言した。
「米国第一主義」という新たなモンロー主義
NATO(北大西洋条約機構)など同盟国との関係見直しを示唆しているのも、従来の外交スタンスとは異なる。
トランプ氏は党大会の最中、ニューヨークタイムスでのインタビューで、NATO加盟国が攻撃を受けた際の米国の反撃義務に対して、その国の応分の負担次第だという爆弾を投下した。「我々のクレド(信条)はグローバリズムではなく『米国第一主義』」という言葉に新たなモンロー主義(米国の5代大統領モンローが唱えた米大陸と欧州の相互不介入の原理)を見る向きは多い。
妊娠中絶については共和党の主張に沿っているように見えるが、党大会ではゲイを公言しているペイパルの創業者、ピーター・ティール氏が登壇、トランプ氏も演説で「LGBTQ(セクシャルマイノリティ全体を意味する言葉)」の市民を保護するためにあらゆることをする」と述べ、会場で大きな拍手が起きた。従来の共和党の党大会ではあり得ない光景だろう。
「社会的イシューについてはいくらか保守的だが、経済や外交については伝統的なポジションとは大きく異なっている。共和党には『経済的保守』『社会的保守』『安全保障的保守』の3つの柱があるが、少なくとも2つは砕け散った」。共和党系のシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所のジェームズ・ペソコウキス研究員はそう語る。
主流派は既にトランプ後を見越して動いている。共和党の事実上のリーダーであるポール・ライアン下院議長はトランプを支持しているが、消極的支持の枠を出ない。党大会の演説でも、トランプ氏の名前や政策にはほとんど触れず、自身が考える保守について持論を展開しただけだ。
予備選・党員集会を戦ったライバルも一様に距離を置く。
マイノリティの獲得は放棄か?
「小さなルビオ」と馬鹿にされたマルコ・ルビオ上院議員は共和党党大会には参加せず、ビデオメッセージで党の結束を呼びかけた。地元オハイオ州の現職知事であるジョン・ケーシック氏はお膝元での党大会にもかかわらず、不参加を決めた。妻を侮辱されたテッド・クルーズ上院議員に至っては、演説は受諾したものの結局はトランプ支持を明言せず、最後は大ブーイングに包まれて演台を下りている。
ブッシュ家が輩出した2人の元大統領の姿は見えず、オバマ大統領に敗れ去った2人の元大統領候補もいなかった。党大会は党の結束を図り、11月の本選に向けて士気を高めることが目的の一つ。だが、党大会の4日間を見る限り、一枚岩になりそうな雰囲気には見えない。
もう一つ感じたのは、トランプ氏が白人労働者層に完全に“賭けた”ということだ。トランプ氏は演説の途中で、仕事に励む声なき労働者の声になると述べた。白人労働者層は予備選・党員集会におけるトランプ氏の強固なサポーターで、そこにフォーカスするのはある意味で当然だ。もっとも、党の指名を濃厚にした5月以降、女性やヒスパニック系など幅広い有権者に支持を広げに行くと思われた。だが、その後もイスラム教徒の入国禁止やTPP離脱を明言するなど、従来の主張を先鋭化させている。
その背景にあるのは、ある種の割り切りであり、政治的博打だろう。
「メキシコ移民はレイプ魔」など数多くの暴言を吐いてきただけに、トランプ氏はマイノリティや女性の支持が極めて低い。副大統領候補に指名したインディアナ州知事のマイク・ペンス氏も宗教的右派で、マイノリティや女性票という面での補完は望めない。
鍵を握る「ラストベルト」白人層
一方、トランプ氏は低学歴の白人労働者の間で高い支持を誇る。そして、オハイオ州をはじめとした「ラストベルト」(Rust Belt=さびた工業地帯、製造業でかつて栄えた中西部から北東部)は最近でこそ民主党が抑えているが、民主・共和が拮抗している「スウィングステート」であり、低学歴の白人労働者の比率が高いエリア。全国的な知名度の低いペンス氏も、インディアナ州の現職知事でこの地域での知名度は高い。
「フロリダやバージニアなども重要だが、オハイオ、ウィスコンシン、ミネソタ、ペンシルベニア、ミシガンといったラストベルトのスウィングステートで勝てれば、彼は大統領になれる」と世論調査に定評のあるクイニピアック大学調査研究所のピーター・ブラウン・アシスタントディレクターは指摘する。マイノリティを捨てたとまでは言わないが、白人労働者層によりフォーカスすることで、民主党のヒラリー・クリントンを切り崩そうとしているのだろう。
加えて、今回の演説では自由貿易や富の集中に批判的なサンダース支持者にも秋波を送っている。サンダース支持者は格差の拡大に不満をためている高学歴の若者が多く、ここを取れれば、民主党の基盤である北東部で勝機が生まれる。その戦略が奏功するか分からないが、民主党幹部がクリントン氏に肩入れしていた事実をウィキリークスが暴露するなど、民主党内にも不穏な空気が漂いつつある。
いずれにせよ、トランプ氏は従来の民主・共和という枠組みを超えて反移民、反貿易、反格差で糾合しようとしている。その軸は従来の保守でもリベラリズムでもなくポピュリズムだろう。日本の立場としては、思想や行動原理が読めるクリントン氏の方が望ましいのだろうが、今後、大統領選がどう展開していくのか、現時点では全く読めない。
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