英国で対照的な2つの事象が同時進行した。1つはロシア・ワールドカップ(W杯)。イングランドは28年ぶりのベスト4に進出。準決勝で敗れたものの、若い選手たちが躍動し、英国は興奮の渦に包まれた。「これほど見知らぬ人と喜びを分かち合い、抱き合ったことはなかった」と話す英国人もいる。
もう1つはEU離脱(ブレグジット)の行方だ。道筋が全く見えなくなっている。7月6日、メイ英首相はブレグジットの交渉方針をまとめた。EU離脱の国民投票から2年が経ち、メイ政権にとってようやく取りまとめた離脱の方針だった。
ここからの展開が急だった。8日夜にデービスEU離脱担当相が辞任。続く9日には、強硬離脱派の顔であるジョンソン外相が辞任した。ジョンソン氏は「ブレグジットの夢は死につつある」と強烈にメイ首相を批判。政権の中枢を担う2大臣が辞任し、メイ首相の退陣を迫るとの見方も出ている。ワールドカップでイングランドの快進撃が続き、国民の団結は強まっているように見えるが、ブレグジットという「国難」に対して国の分断が深まるばかりだ。
大別すると、議論はEUとの経済関係を重視し、ソフトランディングを求める「穏健離脱派」と、EUの法律や規制と決別する「強硬離脱派」に分けられる。しかし、いずれも英国のいいとこ取りとの批判がつきまとい、正式にEUとは交渉していないため、実現性が全く見えていない。
日本企業の関係者は不安を募らせている。7月9日に開催した在英国日本国大使館の「英国のEU離脱に関する日系企業向け説明会」では、開会前に大使館前に行列ができ、ほぼ会場は満席だった。大和総研の菅野泰夫シニアエコノミストにブレグジットの現状や今後の展開を聞いた。
W杯でイングランド代表が惜しくも準決勝で敗退しました。準決勝にメイ首相および閣僚の誰も応援に行きませんでした。
菅野:英国政府は、イングランド南部ソールズベリーで起きたロシアの元情報機関員への襲撃事件を契機に、ロシア政府との対決姿勢を鮮明にし、今回のW杯では、代表チームの応援に伴うロシア訪問をボイコットしているからです。当初は、英国民にも現地での応援自粛を呼びかけており、その世論に英王室も歩調を合わせ、イングランド・サッカー協会名誉会長のウィリアム王子ですら現地に赴きませんでした。
しかし、予想以上のチームの躍進により、メイ首相は自ら墓穴を掘ってしまい、イングランド代表が勝ち抜くほど、支持率が低下する状態に陥っていました。
一方、決勝戦に進んだフランスのマクロン大統領は準決勝で、スタンドでの応援に駆け付けました。フランス代表の躍進で、低迷気味の支持率も持ち直したといわれており、満面の笑みを浮かべていたのが対照的でした。

1999年大和総研入社。年金運用コンサルティング部、企業財務戦略部、資本市場調査部(現金融調査部)を経て2013年からロンドンリサーチセンター長兼シニアエコノミスト。研究・専門分野は欧州経済・金融市場、年金運用など。
7月9日にボリス・ジョンソン外相が辞任しました。ブレグジットの道筋の中で、今回の辞任はどのように位置づけられますか。
菅野:実は、W杯の現地応援自粛を言い出したのは、ジョンソン氏でした。そもそもジョンソン氏が英国でどのような存在なのかという点からお話しします。ジョンソン氏は英国のEU離脱(ブレグジット)の象徴的な存在です。
前ロンドン市長として人気があり、国民投票の前の演説は聴衆からスタンディングオベーションで称えられ、EU離脱の流れを作りました。外相はEUとの直接交渉を行う立場ではありませんが、ブレグジット協議への影響力は強いとみられています。
辞任の引き金になったのは、7月6日の英首相の公式別邸(チェッカーズ)での閣議です。英国とEUとの将来的な関係性についての青写真をメイ首相が明らかにし、10時間以上の閣議で強硬離脱派を抑え込みました。
閣議で決まった方針では、物の移動の自由と引換えに、離脱後も食品や製品に関してEU規制に準拠する方針が明らかにされました。ジョンソン氏は、「メイ首相の考えは英国の利益を損ない、英国が永久にEUの属国になる最悪の案だ」と批判していました。
確かにEUは食品や製品に厳しい規制があり、それに英国も合わせるとなると、離脱の意味がなくなってしまうでしょう。しかし、ジョンソン氏にも緻密なプランがあるようには見えません。
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