しかし、青木の講演を聞いた受講者たちは、はたして彼のやり方に倣おうと考えただろうか。ほとんどの人が自信なげに頭(かぶり)を振るに違いない。

 青木の主張自体は明快だ。客の立場になってサービスを提供し、運賃を設定すれば、タクシー業界は上向くというものだ。運賃の値下げにしても、それによって実車率(タクシーの走行距離のうち客を乗せて走った割合)が上がれば、「運賃収入が減ることはなく、むしろ増える」という。だが、その主張をどうやって実現したかとなると、“強引に”とか“粘り強く”といった月並みな表現で言い尽くせるものではない。

 青木の主張は、同業者や運輸省との間に幾度となく深刻な軋轢を生んだ。

 運賃値上げ反対運動を起こした81年のことだ。運輸省は当時、「同一地域、同一賃金」を掲げていたため、MKが値上げに賛成しなければ京都のタクシー会社は値上げに踏み切れない。逆恨みした同業他社は、MKに対してあの手この手で嫌がらせをした。MKの車が京都駅のタクシー乗り場に入ろうとすると、強引に割り込んでそれを妨害する。青木が在日韓国人であることから、他社の経営者たちは夜の京都・祇園のクラブで「朝鮮のタクシーに乗ったらあきまへんで」と触れ回ったりもした。

一度言ったことは絶対に貫き通す

 青木のやり方に反発したのは同業者だけではなかった。78年、乗客への挨拶を徹底させるため、運転手を京都市内の繁華街に連れ出し、「ありがとうございます」という例の4つの挨拶を大声で唱和する訓練を始めたが、それを嫌がった運転手が次々に辞めてしまった。乗り手がいなくなり、車庫に置き去りにされた半数近い車には、うっすらと埃が積もっていたという。

 それでも、青木は自分のやり方を曲げなかった。運転手の夫人たちを組織して、運賃値下げを訴えるビラをまかせたりしたのだ。「オーナーは1度言い出したこと、やり始めたことを絶対に途中で変えなかった」と、青木とはほぼ40年の付き合いになるというMKグループ会長の前川靖國は言う。

 四面楚歌になっても主張を曲げなかった執念――それは一体何に裏打ちされているのだろうか。

 MK専務の結城博は、青木のすごさは「相手が首を縦に振るまで主張し続けることだ」と言う。結城が新入社員だったときのことだ。休みなしで働いてきたベテラン社員を休ませるため、青木の発案で、5月の連休は新入社員だけが営業所に出社して、事故処理などをすることになった。

 青木は数人の新入社員を横一列に並ばせて、「できるな?」と一人ひとりに聞いていった。誰もがはじかれたように「できます!」と答える。結城の番がきた。MK石油での研修を終え、MKタクシーに配属されたばかりの結城は青木とは初対面で、彼の性格をよく知らなかった。そこで「できます」と答えたら嘘になると思い、「頑張ります」と当たりさわりのない返答をした。

 青木の顔が険しくなった。「給料をもらってんのやから、頑張るのは当たり前や。できるか?」。

 それでも結城は首を縦に振らなかった。事故の処理などできるわけがない。ほかの新入社員たちがかたずをのんで成り行きを見守っているなかで、青木は結城がこくりとうなずくまで「できるな?」と責め続けたという。

 しかし、青木の執念は「言い出したらきかない」(夫人の青木文子)という性格だけが理由ではあるまい。

 青木は言う。「高い運賃や横柄な運転手の態度などのお客にとっての不合理を改善しないと、タクシー業界はお客にそっぽを向かれると確信していました。長い目でみれば、お客は合理的に行動するからです。私は、不合理な悪弊ゆえに、ビジネスの機会を失するのに耐えられなかったのです」。

 常識外れの行動が目立つ青木だが、実は徹底した合理主義者であり、運賃の値下げは、いわば青木流の合理主義を体現する手段として、何が何でも実現しなければならなかったのである。

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