南米北部ベネズエラの首都カラカスのチャカオ地区。治安部隊の弾圧から逃げ惑うデモ隊の撮影を続けていた新興のネットメディア、カラオタデジタルの記者、ルイス・ゴンザロ・ペレスは激しい痛みを感じた。治安部隊の放った催涙ガスのキャニスター(円筒容器)が太ももに直撃したのだ。あまりの激痛に路上にうずくまる。周囲は催涙ガスの白煙とゴム弾の発砲音、人々の叫び声がこだましている。(下の動画をご覧ください)
4月以降、反政府デモが頻発しているベネズエラ。治安部隊は容赦なくデモ隊を鎮圧している
本来、催涙ガスは山なりに撃って破裂させるもので、人に向けて撃つものではない。だが、ベネズエラの治安部隊はデモ隊めがけて容赦なく発砲している。
「2~3mの至近距離から自分に向けて撃ってきた。しばらく青あざが残ったよ」
そう振り返るルイス。だがすぐに立ち上がると、スマホの動画を回し始めた。ベネズエラの惨状を世界に伝えるために。
議会から立法権を奪う「蛮行」
盾を手に国家警備隊に立ち向かうデモ隊(撮影:Luis Gonzalo Perez)
世界一の原油埋蔵量を誇るベネズエラだが、4月以降、全土で大規模な反政府デモが相次いでいる。直接のきっかけは、政権寄りの最高裁判所が3月末に議会の立法権を奪うという暴挙に出たことだ。
野党が大勝した2015年12月の議会選挙以降、ベネズエラの最高裁は野党が過半数を占める議会の決議を無効とする判断を下してきた。既に議会の立法権は脅かされているが、今回の判断は三権分立を真っ向から否定する「蛮行」として、国内外で批判が噴出している。その後、最高裁は撤回したものの、独裁色を強めるマドゥロ政権への不満が爆発、連日のデモに発展した。
既に2カ月以上が経過しているが、収まる気配はない。
カラカスでは板で作った盾やヘルメット、ガスマスクを身につけた若者や高齢者が連日のようにデモ行進している。厚手の革手袋をつけているのは高温状態の催涙ガスを投げ返すためだ。デモ隊は基本的に武器を持たず丸腰だが、治安部隊は催涙ガスとゴム弾、放水車で鎮圧しようとしている。
放水で対抗する治安部隊(撮影:Luis Gonzalo Perez)
現在のところ、治安部隊は実弾の使用は限定的だが、催涙ガスのキャニスターやゴム弾の直撃で死傷する市民が後を絶たない。
5月18日、カリブ海に面する東部マラカイボでは、負傷者を救護していたボランティアの医学生がデモ参加者の応急措置をしていてクルマでひき殺された。装甲車がデモ隊に突進していったこともある。政府支持者や武装民兵によるデモ隊への暴行も横行している。
検察によれば、死者数は6月10日時点で67人に上る。以前、検事総長のルイサ・オルテガは死亡者の半数は国家警備隊による暴力だと語っていた。また、野党側の発表によると、約1万5000人がデモ参加中に負傷したという。
当初、デモは野党が呼びかける平和的な行進が中心だったが、最近は野党とは無関係の暴動も増えつつある。2013年に死去した前大統領、ウゴ・チャベスの出身地では同氏の生家や政府の事務所が放火された。軍関係者が反体制派に拘束された写真もツイッターに出回る。国民の怒りが頂点に達しているのか、それとも野党弾圧の口実としてスパイを送り込んでいるのか、現時点では不明だ。
インフレ率720%
反政府デモに発展した直接の原因は三権分立の侵害だが、国民の怒りの背景にあるのは「破壊的」と形容してもいいレベルの経済崩壊だ。
モノ不足による買い物の大行列は、映像で報じられて世界的に有名な光景になっているが、想像以上に食料品や日用品、医薬品の不足が深刻化している。足元のインフレ率は720%。1ドル10ボリバルの公式レートに対して、一般市民がドルを手にする闇レートは7000ボリバルを突破した(6月10日時点)。
1年半前にカラカスを訪れたときの闇レートは1ドル800ボリバル前後と、食料品などの調達で用いられた公式レート(6.3ボリバル)と比べて、既に通貨価値が大きく毀損していた。足元の水準は、当時を上回る大暴落と言える。ドルで給料が入る人はまだいいが、ボリバルで給料を得ている人々は、生活必需品を得ることすら難しい。
「ずいぶんと長い間、肉は食べていません」
カラカスに住むエルダ(本人の希望で仮名)は恥ずかしそうにそう打ち明けた。彼女は元音楽学校のピアノ教師で、そこを引退した今は、自宅でピアノ教室を開いている。収入は1カ月25万ボリバル(6月10日時点の闇レートで約35ドル)。極度のインフレのため、ほぼすべてが食費に消える。
野菜とイワシは毎週土曜、近くの市場で買う。近くのスーパーにはパスタやコメなどの輸入品が売られているが、価格が高すぎて手が出ない。豆も高価なため、手に入れば1kgの袋を1カ月かけて少しずつ食べるようにしている。
「ここ1カ月、パンが手に入らなくなりましたが、ピアノ教室の生徒にパン屋の息子がいるためフランスパンを4本分けてもらいました。でも、それ以来、パンを食べていません」
食料品や日用品、電気代などすべての値段が上がっていくため、何かを切り詰めていく必要があり、生活は苦しさを増していく。スペインに移住した弟が、毎月200ユーロを仕送りしてくれるため、どうにか暮らしている。
住み込みでマンションの管理人をしているアウローラも厳しい生活を強いられている。
13歳の娘と9歳の息子を育てるシングルマザーで、月曜から土曜まで、朝5時から午後3時まで働く。とりわけ木曜の朝は早い。コメや食用油、トイレットペーパーなど規制価格の商品を買える日なので、朝3時からスーパーに並ばなくてはならないからだ。その日は、午前2時に起きて子供の弁当を用意することになる。
そんな毎日だが、敬虔なクリスチャンのアウローラは、バーリオ(スラム街)に住む貧困層のことを思えば、自分の生活はまだマシだという。
ゴミに群がる人々
「以前のようにヨーグルトや牛乳は手に入らなくなりました。でも、ゴミをあさっている人や、一日一食しか食べられない人に比べれば恵まれています」
実際、カラカスでは食糧難からゴミをあさる光景が目立つようになった。9カ月前からゴミをあさり始めたという女性は以下のように語る。
「スーパーに午前2時から並んでも(コメや豆が)2パックしか買えないのよ。みんな毎週、大変な思いをしているわ」
物不足は国民に深刻な影響を与えている。
ベネズエラの保健省によれば、2016年の乳児死亡率は2015年比で約30%も上昇した。生活状態に関する世論調査(ENCOVI)を見ても、貧困層と極貧層は2014年の24.8%、23.6%から、2016年には30.3%、51.5%とそれぞれ悪化している。人口の30%に相当する約960万人が1日2回以下の食事しか取っておらず、90%以上の国民が「食料を購入する十分な給料を得ていない」と感じている。
軍と素人が回す巨大企業
過酷な国民生活に陥ったきっかけが、2014年夏以降の原油価格下落にあることは間違いない。ベネズエラは輸出収入の約9割、歳入のおよそ半分を原油に依存している。ピーク時に100ドルを超えた原油価格が半分以下に落ち込んだ影響は甚大だ。もっとも、チャベス政権からの社会主義政策の負の遺産が、ここに来て経済を激しく圧迫している側面も大きい。
モノ不足は、チャベス政権とその後を継いだマドゥロ政権によって進められた「企業国有化」が一因だ。
1999年に大統領に就任したチャベスは2000年代半ば以降、石油開発プロジェクトや製鉄、港湾、農場など数多くの生産設備を接収した。最近では4月に米ゼネラル・モーターズの工場が接収されている。だが、チャベスをはじめとする政府関係者に企業経営のノウハウはない。「瞬く間に生産量は減少した」。自身が経営する港湾関連の企業を政府に接収されたフェデリコ・カルモラは、2015年12月に取材した時、そう語っていた。
国有化した企業の従業員を急増させたことで、生産性も悪化した。
2003年に国営石油会社PDVSAの従業員がチャベスの進める社会主義的政策に抗議するストライキを敢行すると、チャベスは対抗して経営陣や技術者など2万人近い従業員を解雇した。その後、軍関係者や自身の支持者を大量に採用した結果、解雇前に4万人だったPDVSの従業員数は10万人超に膨れあがった。PDVSAの石油生産量の伸びはそこから低迷を続けている。専門家を次々と解雇して、大量の素人を雇い入れれば、当然の帰結として生産性は低迷する。
もう一つの社会主義政策も経済に打撃を与えた。
「21世紀の社会主義」を標榜したチャベスにとって、「貧困層への分配」という経済政策は主要案件であり、その実現のために生活必需品の価格を低く抑えてきた。だが、民間企業に統制価格に準じた販売を強いるため、生産のインセンティブは大きく低下している。2015年12月の選挙期間中にも卵の値下げを指示したが、とたんに卵が店頭から消えてしまった。国有化と統制価格によって、ベネズエラの労働意欲が低下し、生産基盤が弱体化しているのは間違いない。
「チャベスと社会主義」の亡霊
それでも、原油価格が高止まりしている間は、食料品や日用品の輸入で需要を補うことができたが、原油価格の下落でその戦略は破綻した。さらに、チャベスは無料の医療制度や住宅の提供など、貧困層向けの手厚い分配政策を推し進めたが、こちらも原油価格の下落による歳入の減少で財政悪化に拍車をかけた。
2年前から路上で寝泊まりしている11歳のグスマン。デモ参加者にもらったヘルメットを被り、ポリバケツの盾を持つ。撮影したルイスの問いかけに対して、「ママは居ない。兄弟も居ない。僕一人で外で暮らしている。食べ物何かくれる?」と答えた(写真:Luis Gonzalo Perez)
もちろん、チャベスが大統領なった背景をひもとけば、それ以前の政権による、長年の腐敗と格差の放置がある。その反動で生まれたチャベス政権が、所得再分配と格差解消に向かったのは当然でもあり、ベネズエラの変革にとって必要なプロセスでもあったはずだ。だが、付加価値を生む”鶏”を殺してしまっては元も子もない。チャベスとその後継者による経済を無視した「ばらまき政策」は、着実にベネズエラ社会を疲弊させた。その意味では、経済崩壊は「人災」である。
「今から思い返してみれば、チャベスが死んで原油価格が下落した辺りで、マドゥロ政権は負の遺産を修正しなければならなかった。ところが、マドゥロはよりラジカルな政策を選んでしまった。それが最大のミスだ」。ベネズエラの元外交官、ホセ・クラビッホはそう指摘する。
あくまでも仮定の話だが、革命の生みの親であるチャベスが穏健な方向に修正すれば、熱狂的な”チャビスタ(チャベス支持者)”もその方向性に従ったかもしれない。だがチャベスが世を去った今、マドゥロは「チャベスの革命」を推し進める以外に、チャビスタの支持を得る術がなくなってしまった。そのため、より政策や行動が過激になり、反政府派への弾圧まで強めている――という見立てである。「21世紀の社会主義」を標榜したチャベスの亡霊が、ベネズエラ国民を飢餓に追い込んでいるとすれば、これほど皮肉な話もない。
この惨状をベネズエラは脱することができるのか。少なくとも、現在のデモでは政権を打倒して、新たな国家を構築するには力不足だという見方が今のところ主流だ。
今回のデモは野党支持者だけでなく、高齢者や学生など幅広い層が参加している。だが、人口の一定割合を占める貧困層や労働者層はこれまでのところ限定的だ。
政府支持者(右)と野党支持者(左)の衝突。「マドゥロは健在」と叫ぶ政府支持者に対して、「マドゥロ政府は既に崩壊した」と応酬している(撮影:Luis Gonzalo Perez)
それには様々な理由が指摘されている。
携帯も持てず、デモ情報が入らない
1980年代と90年代の経済危機の時に、国営企業の民営化や社会的支出の削減などの経済改革を断行したが、そのしわ寄せはエリート層ではなく貧困層に向かった。その不満が蓄積したからこそ、チャベスが地滑り的に勝利したのだ。貧困層は現在の政府に対して絶望的な不満を抱いているが、一方で野党勢力が政権を握った時に以前と同じように自分たちにしわ寄せが来るのではないかという不信感を持っている。
また、バーリオなどでは政府派の武装民兵が目を光らせている。デモに参加すればコメや砂糖などの配給を止められる恐れがあり、デモ参加に二の足を踏む一因といわれる。モバイル端末を持っておらず、デモ情報を入手できない、という単純な経済的理由もあげられる。
「国民の間でマドゥロの人気がないのは事実だ。しかし、信じられないことに、今でも20%前後の支持は残っている。危機の深刻さを考えれば、驚くほど高い支持率といえる。一方で野党勢力は約55%の支持率があるが、マドゥロと野党勢力を支持していない層も25~30%いる。政府への不満と野党への不信。そのギャップにはさまれ、貧困層があまりデモに参加しない」。ニューヨーク大学准教授で中南米史が専門のアレハンドロ・ベラスコはそう指摘する。
今後のカギを握る軍部も、マドゥロ政権から様々な便宜を受けていて、今のところは政権を支持している。
弁護士で軍事アナリストのロシオ・サン・ミゲルによれば、過去6年間で1000人を超える人が大将や将官に昇格した。為替管理が厳しいベネズエラにおいて、軍人はドルなど外貨へのアクセスが優先されている。2016年2月には軍部の鉱山会社を設立、オリノコ地帯に眠る金やダイヤモンドなどの採掘権を軍部に与えた。その他にも、食料や燃料、ドラッグなどの取引に軍部は関与している。
「独裁化の加速」という悪夢
事態が変わるとすれば、政権を支える与党内部の対立だとミゲルは見る。
「現在のベネズエラで決定的な対立は政府と野党ではなく与党内にある。反政府デモの激化や、マドゥロ政権に対する国民大多数の拒絶が加速すれば、軍がマドゥロ不支持の立場を取る可能性はある。その際に、野党と与党穏健派の交渉で暫定政府が擁立され、出口が見いだされることも考えられる」
就任以来、チャベスとその革命に忠実だった検事総長のルイサ・オルテガは政権に批判的な立場を取り始めた。国防大臣のパドリアーノ・ロペスも国家警備隊の弾圧を批判している。将来の政権移行を見据えての"責任回避"と見る向きもあるが、与党内部にマドゥロを拒絶する動きが出ている一つの証左である。
もう一つのシナリオとして、マドゥロが独裁政権を確立していく道もある。マドゥロ政権は憲法改正のための憲法制定議会を立ち上げると布告した(選挙は7月31日に実施)。野党勢力は総選挙を要求しているが、現在の状況を考えれば、与党は恐らく敗北することになる。マドゥロの大統領任期は2019年に切れる。その前に自身の権力を固めるために別の議会を作り、憲法を変えるという驚愕のシナリオがまことしやかに囁かれている。
「そうなれば、1年間で100万人以上のベネズエラ人が国外に流出することになるだろう」(サミンゲル)。
6月7日のデモでは、首都カラカスだけで200人以上の負傷者が出るなど、治安部隊の弾圧はエスカレートする一方だ。それに伴ってデモ隊の抗議の声も激しさを増しているが、それだけでは政権は倒れる気配はなく、経済状況も一向に好転しない。ベネズエラ国民にとっては白昼の悪夢だが、その状況はもうしばらく続く。
取材協力:Luis Gonzalo Perez(カラオタデジタル)、竹内祐子
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