
中国の民主化を訴えるために北京の天安門広場に集まった学生を当局が武力弾圧した1989年の天安門事件から6月4日で27年を迎えた。中国政府は事件を正当化し、追悼集会や事件に関する言論を抑え込む姿勢を変えていない。
英国から中国への返還以降も一国二制度の元で言論の自由が確保され、毎年、6月4日に大規模な追悼集会が開かれる香港は、天安門事件の記憶を伝えていく上で大きな役割を果たしてきた。だが、香港の「自由」に対する圧力が高まる中で、この地での追悼集会も変容してきている。
2014年には18万人(香港市民支援愛国民主運動連合会の発表)を集めた香港での追悼集会だが、今年の参加者は12万5000人(同)と昨年と比較しても1万人少なく、2010年代で最低となった。主催者とは別に、香港の警察も参加者数を発表したが、今年は2万1800人。この数字は昨年の4万6600人に比べると半分以下で、2014年の9万9500人に比べれば約8割も減ったことになる。
主催者と警察で参加者数が異なるのは例年のことだが、双方とも参加者が減ったという見解では一致している。今年の6月4日は土曜日で参加しやすい条件だったが、それでも減少した。
1970年代に中国の福建省から香港へ移民してきた男性は言う。
「今日は香港人が本土の人に対して一致団結して民主化を訴えられる日なのにもかかわらず、残念だ。中国の民主化や香港の自由の維持を訴えることが怖くなったのだろうか。無理もない。今の香港は言論の自由が脅かされているのだから」
集会への参加者が減少傾向にあるのはいくつか理由がある。まず、民主派とされる複数の団体がそれぞれの主張の違いによって分裂したことだ。
中国の民主化を理想とする一派や、香港の民主主義を維持することを追求するグループ、あるいは香港の独立を目指す一派もある。こうした団体が分かれて集会を開くことによって、参加者が減っているのだ。この傾向は昨年から見られた。
侵食される香港の「自由」
中国本土の圧力により香港で言論を統制する動きが強まっているように見えることも、参加者減少の原因になっているようだ。表現の自由が許されているはずの香港でさえ、中国共産党や習近平国家主席などを批判することがタブーになりつつある。
中国政府は1984年に英国との間で調印した「中英共同宣言」の中で、1997年の香港返還後、2047年までの50年間は香港の高度な自治を認め、言論の自由などを維持することを約束した。だが、現実には香港に認められている「高度な自治」は徐々に変化しつつある。
背景には香港の経済的地位の低下がある。1997年当時、中国の名目GDP(国内総生産)は香港の5倍強。中国が世界経済と結び付く上で、高度な自治が約束され資本主義経済が確立していた香港は不可欠な存在だった。
だが、中国の経済成長とともにその関係性は逆転していく。2015年の中国のGDPは香港の35倍。香港経済は高度成長を続けてきた中国本土の経済への依存度を高めてきた。中国政府が「高度な自治」の現状を徐々に変えているのは、こうした経済関係の変化とも関連している。
Powered by リゾーム?