カリスマ経営者、鈴木敏文氏の退任劇で、お家騒動が明るみになったセブン&アイ・ホールディングス。鈴木氏が引退を発表した後も、後継者や次期経営体制を巡って、紆余曲折があった。だがようやく4月19日の取締役会で次期体制が決まった。
 新たにセブン&アイの社長に就任するのは、セブン-イレブン・ジャパン社長の井阪隆一氏。鈴木会長が、セブンイレブン社長としての能力を「不適格」と評価した井阪氏が、5月26日の株主総会以降、セブンイレブンの親会社であるセブン&アイの経営を引き継ぐことになる。
 鈴木会長の退任は、セブンイレブン社長の井阪氏を更迭する人事案が、取締役会で否決されたことが引き金となった。一連の騒動を井阪氏自身は、どのように見てきたのか。およそ半世紀にわたって経営の中枢に君臨してきたカリスマが去った後、井阪氏はどのようにグループを束ねるのか。話を聞いた。

5月3日、日経ビジネス編集部のインタビューに答えるセブンイレブンの井阪隆一社長。5月26日の株主総会で承認が得られれば、セブン&アイの社長に就く(撮影:的野 弘路)
5月3日、日経ビジネス編集部のインタビューに答えるセブンイレブンの井阪隆一社長。5月26日の株主総会で承認が得られれば、セブン&アイの社長に就く(撮影:的野 弘路)

セブン&アイの次期社長に就くことが決まりましたが、そもそも一連の騒動の発端は、鈴木会長の突然の退任表明にありました。(詳細は「セブン会長、退任会見で見せたお家騒動の恥部」)。改めて、あの会見で鈴木会長が語った内容をどう受けとめていますか。

井阪社長(以下、井阪):私はセブン&アイの社長に就きたいと言ったことは一度もありません。4月7日の取締役会に会社提案の人事案(編集部注:井阪氏をセブンイレブン社長から退任させる人事案)が提出されました。それが否決されて、指名・報酬委員会で社内外のメンバーの方々が議論を重ね、今回のような形になったと把握しています。

 セブンイレブン社長からの退任要請に対しては、理由が納得できないと異を唱えました。セブンイレブン社長として、まだやり残したことがあると思っていましたから。それが今のような事態になるとは全く意図していませんでした。

 期せずしてセブン&アイの社長に就くことになったわけです。お世話になったセブンイレブン加盟店や社員、株主、取引先など、グループのトップとして、これから色んな責任を果たして役立てることがあれば、と覚悟を決めて受け止めることにしました。

鈴木会長の会見は見ましたか。

井阪:会見そのものは拝見していません。ただそこで鈴木会長が話された内容を後で読みました。会見で話された内容については、真正面からコメントをすることは避けたいと思っています。密室で話されたことですので…。

会見で鈴木会長は、井阪さんが一度、退任要請を受けとめたけれど、数日後にひっくり返したと主張しています。

井阪:私自身は退任要請を受け入れた認識はなかったので、あっけにとられていました。(退任を要請された)翌日も伺って、考え抜いて、結局2月17日に、「やはり納得できません」と申し上げに伺ったのです。

成長のひずみは「認識していない」

鈴木会長の突然の退任を受けて、日経ビジネス4月18日号では「セブン帝国 終わりの始まり」という記事を書きました。記事の中では、過去最高益を続ける中で目標を達成するために、「ひずみ」が生じているのではないかと指摘しました。セブンイレブンの取引先の中には、赤字取引を迫られるような事例などもあったようです。一方では、こうした極めて厳しい交渉条件などが原因なのか、昨年末にはセブンイレブン幹部への怪文書が出回ったりもしています。社内外で噴出するこれらの問題は、一つの「ひずみ」と言えるのではないでしょうか。

井阪:怪文書については、あくまで個人の問題と認識しているので、コメントは控えたいと思います。一方で、取引先から聞こえてくるという「ひずみ」については、客観的な事実なのか、単なる風評なのかが分かりません。私自身は取引先からそういった話を聞いていませんから。

 むしろこれまで、PB(プライベートブランド)の「セブンプレミアム」とかチルド弁当とか、いろんな商品を一緒に開発して取引を重ねていく中で、我々は常に、多品種少量ではない生産体制を求めて来ました。少ない工場で少ない品種を大量生産してもらい、工場側の生産効率を高めてもらうための仕組みを、一緒に整えてきた。もしこうした体制がなければ、少子高齢化が進み、労働力不足の問題が大きくなる中で、我々のモノ作りの体制は、もっと脆弱になっていたはずです。

次ページ グループトップの役割は「資源の再配分」