味の素「水曜は午後5時に“強制”退社」の理由
西井社長に聞く(前編)「2年前倒しで世界基準の働き方へ」
味の素が働き方改革に力を入れている。4月から月額給与を一律1万円ベースアップしつつ、年間総実労働時間の削減を当初計画よりも2年前倒しで実施し、欧米企業並みの1800時間にすることを目指す。長時間労働が社会問題となっている日本の産業界で、率先して働き方改革に挑む背景には、2015年に就任した西井孝明社長がブラジル勤務時代に感じた危機感があった。働き方改革に取り組んだ思いや、労使交渉の舞台裏を聞いた。
(聞き手 長江 優子)
西井孝明氏
1982年、味の素に入社。2004年に当時不振事業だった家庭用冷凍食品の責任者に就き、業績を改善。09年には人事部長を務め、11年に執行役員に就任する。13年にはブラジル味の素の社長に就任し、ラテンアメリカ本部長として南米駐在。15年に、味の素歴代最年少(創業家を除く)となる55歳で社長に就任した。(写真:的野弘路)
4月5日から、東京本社では毎週水曜日にはきっかり午後5時にビルそのものを閉館して、ある意味「強制的」に社員を退社させる取り組みが始まりました。
西井孝明氏:もともと水曜日は「ノー残業デー」で、午後6時までに帰宅するよう取り組んできました。4月1日からは当社の始業時間を30分早め8時15分にし、終業時間は午後4時30分に前倒ししています。それまでは始業時間が8時45分で、終業時間は午後5時20分。所定労働時間は7時間35分から7時間15分に減りました。それに合わせて、ノー残業デーの閉館時間も午後5時にしてみました。
今年2月に発表した中期経営計画では、働き方改革に取り組むことを掲げています。働き方改革には世間の関心も高まっていますが、味の素として力を入れる背景にはどういった狙いがありますか。
西井氏:きっかけはブラジル勤務時代での体験です。社長をやれと言われ、日本に戻ったら何をやろうかと考えたときに、働き方の改革をやろうと非常に強く決意していました。
味の素は日本で誕生した会社です。日本では知名度もあり、採用ではそれほど苦労することはありません。ただ、海外では激しい人材の争奪合戦を繰り広げています。私のいたブラジルはもとより、中国、タイなどどこの国でも起きています。同じことが、日本では起きていないと見ることが、ちょっとおかしいと思っていました。実際には水面下で人材争奪戦が起きているのに、安定的に新卒採用やキャリア採用ができているので、気が付いていないだけではないかと。もっと優秀な人材が、実はほかの場所で働いている可能性もあるのではないかと考えました。
もう一つは、女性の活躍です。私がいたブラジル本社は従業員に占める女性の割合が70%に達し、マーケティングやR&D(研究開発)、財務、法務などで活躍しています。工場や営業を含めても、女性の比率は40%です。一方、日本では約30%(2015年度)にとどまっています。
ブラジルでは従業員はどのような働き方をしていたのですか。
西井氏:メリハリの利いた時間管理をしていました。朝型で、夜はきちっと終わります。それと、経営者としては、年間総実労働時間の管理を重視していました。
欧米の企業の年間総実労働時間は、おおむね1800時間くらいだと思いますが、日本の味の素では、私が戻ってきた2015年度の年間総実労働時間は1950時間程度でした。欧米企業の水準と比べると、1950時間というのは、非常に厳しい労働環境です。女性を含む優秀な人材を日本はもとより世界中から採用していくためには、この労働時間を削減する必要があると思います。
社長に就任してからこれまで、既に「ノー残業デー」の実施やテレワークの拡大など労働時間の削減に取り組んできていますが、2016年度の年間総実労働時間はどれぐらいになりそうですか。
西井氏:2016年度は1900時間になると見込んでいます。これをさらに短縮して、欧米水準の1800時間にしたい。年1800時間というのは、だいたい1日あたり7時間15分です。1日の労働時間を7時間にして、月に数時間の残業にとどめれば、達成できる計算になります。
今回の中計では、業績だけではなく、働き方も2020年度までにグローバル企業並みにしたいと考えました。それを今年2月、2年前倒しして2018年度までに1800時間を達成しようと提案し、労使で合意できました。
労使で協力し「年1800時間」に挑戦
2年前倒しというのは、かなり大胆な見直しだと思いますが、当初はなぜ2020年度を目標にしたのですか。
西井氏:社外との関係があります。取引先やサプライヤーさん、海外法人のサポートなど、我々の仕事はさまざまな関係で出来上がっています。従って、1800時間にするには職場ごとに工夫が必要です。時間がかかると思い、目標を2020年度にしました。
しかし、その後の労働組合との交渉や、これまで実施してきた働き方改革の取り組みの結果を見て、労使のトップ同士で相談し、前倒すことに決めました。
2年前倒す提案は、労働組合側から提案されたものでしょうか。
西井氏:まず私から、社長就任後に「1800時間を目指そうよ」と提案しました。組合は、経営トップがそんなことを言い出すとは思っていなかったので、びっくりしたと思います。彼らも1年ぐらい検討して、1800時間をやったらいいことがありそうだと思ってくれたみたいです。
話が具体的に進み始めたのは、昨年11月頃。組合の委員長と私が2人で会った時に、「積み上げの話ではなく、1800時間をいつやるか。組合としてもそろそろ決断をしてくれないか」と相談を持ちかけました。組合側も中央執行委員会を中心にイニシアチブを取って、意見をまとめてくれました。その結果が、中計に盛り込んだ「2020年度までに」という目標でした。
2年前倒しは高いハードルだと思いますが、その決断は何がきっかけとなったのですか。
西井氏:味の素では2012年から、全従業員が年間の働き方計画表というものを作成しています。これはエクセルを使って会議の時間を調整したり、計画的に休みを取ったりなど効率性を高めるためのマネジメントツールです。上司と対話をしながら、この計画表をベースに働き方を改善します。これによってまず、2000時間台だった労働時間を50時間縮めることができました。昨年4月からは人事部と組合が中心となり、この運用をさらに強化したことで1900時間が見えてきました。
あと100時間で1800時間です。頑張ればできそうですよね。ただし、それを達成するには、頑張ればできることと、頑張っただけではできないことがあります。そこで、1800時間への障害を取り除くために、例えば、報告だけの会議は廃止し、会議は「決める」ものだけにしました。ほかには、営業や外勤だけでなく全従業員にモバイル性の高いPCを配布する投資をしました。4月1日からはITもセキュリティーの高い仕組みに変更しました。これらが導入されれば、改革がより加速し、1800時間を達成できると考えたわけです。
1万円の賃上げと働き方改革の2年前倒しはセット
労働時間が削減されると、残業代の減少を危惧する声もあります。日本では、残業代をもらえることを前提に、生活を設計している家庭も少なくありません。
西井氏:確かに、そういう声も聞こえてきました。やはり残業代が生活費の一部になっていて、当てにしているようです。その状況を改善しなければ、改革は上手くいかないでしょう。そこで2年前倒すことについて、労使合意できそうだという感触が持てた時点で、働き方改革による生産性向上でもたらされた利益は、人材に還元しようと決めました。
還元の仕方の一つが報酬で、もう一つが働き方改革を進めるためのインフラ投資や教育です。非正規も含めた従業員に関わるところに還元します。
その報酬が、4月から実施された月額給与の一律1万円のベースアップですね。
西井氏:1万円のうち、半分は純粋なベースアップです。2018年度に労働時間が1800時間になることを前提にすると、残業代は減ります。今年度は1800時間までいきませんが、先に還元することで、「安心して働き方改革に取り組んでほしい」という経営の意志を示しました。残りの5000円は、諸手当を見直すことで、若い世代にこれまで以上に報いる制度に切り替えました。
1万円は、組合側も「痛みを伴う改革に対して必要」と考えていた水準でした。ただ、2016年度の決算が減収減益という見通しの中で、組合として1万円というベースアップを要求しても、経営側は受け入れないのではないかと思っていたようです。
それでも私は、「満額で応えるよ。その代わり、組合としても働き方改革をしっかりと後押しする覚悟を見せてほしい」という話をしたところ、組合から「2年前倒しでやりましょう」という提案が来ました。いいキャッチボールができたと思います。
年間総実労働時間の削減を2年前倒すことで、どのような効果が事業面で表れてくるのでしょうか。
西井氏:定量化することは難しいのですが、ガバナンスの向上という観点で効果があると思います。間違いなく良くなるのは、健康増進です。健康診断のデータや、メンタルヘルスが改善されるでしょう。
働き方改革をすることで、人材の力を発揮してもらい、いろいろな才能をもつ「タレント」に来てもらいたい。その効果が出るまでには、少し時間がかかるかもしれません。しかし、優れた人材が集まれば結果としてイノベーションが生まれ、成長にもつながります。1800時間の達成を2年前倒すことで、イノベーションを生み出す職場環境の整備が加速することを期待しています。
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