振り返れば、韓国の財閥と政権の間は、持ちつ持たれつとも、癒着ともとれそうな関係が続いてきた。

 例えば、今回の事件で実質的なトップである李在鎔(イ・ジェヨン)・サムスン電子副会長が逮捕されたサムスングループ。サムスンは過去にも、不祥事の度にオーナーを支えるグループの司令塔組織を縮小し、経営のオーナー色を薄めるようなことをしているが、事態が沈静化するとまた元に戻している。

 何があってもオーナーの独裁を維持し続けようとしたかのようだが、政権は何もしていない。それどころか、途中ではオーナーへの特赦まで実施している。

 具体的に見てみよう。最初は、サムスン創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏の時代の1960年代後半。当時は会長秘書室だったが、グループの肥料会社がサッカリンを建設資材と偽って密輸する事件を起こし、秉喆氏が67年に経営の一線を退くと、参謀本部である会長秘書室は大幅に縮小された。しかし、2年後に秉喆氏が会長に復帰すると、間もなく規模を拡大し始めた。

事件は、必然的に起きたのか

 2度目は秉喆氏の息子の健煕(ゴンヒ)現会長が力を振るっていた2006年。政界や法曹界への不正資金提供疑惑などで、当時、「構造調整本部と呼んでいた会長秘書室の後継組織は戦略企画室に名称を変え、大幅に小さくなった」(安倍誠・アジア経済研究所東アジア研究グループ長)。

 2008年には健煕会長が疑惑で会長をいったん辞任。同年7月には別の脱税容疑で有罪判決も受けた。ところが、09年に当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が冬季五輪の招致のためとしてスポーツ界に人脈のある同氏を特赦し、2010年に会長復帰するとすぐに現在の未来戦略室が発足。200人を超える規模にまた拡大した。

 今回の事件で未来戦略室は解体に追い込まれ、主要子会社の社長らが参加し、グループ経営の議論の場ともなってきた社長団協議会も廃止となった。外からは、経営の中枢が崩壊したようにさえ見えるが、過去の経緯を見れば、どうなるかは分からない。

 オーナー経営の維持は財閥の力の温存と一対であり、参謀本部の持続をその重要な要素であるとすれば、復活の可能性があると見るほかない。

 財閥を育成し、それを駆動力として経済成長を図ってきた韓国はそのくびきから逃れられなくなりつつある。朴前大統領も、その例に漏れなかったのだろう。贈収賄事件は、その構図の中で“必然”のように起きた。そう見える。