韓国最大の財閥、サムスングループからの贈収賄などの疑惑で罷免された朴槿恵・前韓国大統領が3月31日、逮捕された。2013年に就任以来、経済面では財閥依存構造を脱し、大企業に頼らないベンチャー、中小企業育成などの改革を掲げたが、ほとんど成果は上げられなかった。大企業と政治の癒着を断ち、財閥依存という韓国の宿痾にも挑む清廉さを期待されたが、経済の面でも“虚像”に終わった。
朴槿恵(パク・クネ)前大統領がついに逮捕された。1995年の全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)両元大統領に続く3人目の大統領経験者逮捕は、韓国内のみならず、世界を驚かせた。だが、朴前大統領逮捕の裏側には大統領といえども、動かせない経済の岩盤があるように思える。
2013年2月の当選時、朴大統領が掲げたのは、経済民主化であり、創造経済の発展だった。前者は、韓国経済の特異な構造である財閥依存を是正し、中小企業の成長を促そうという構想である。そして後者は、ベンチャー企業の育成で同様の狙いを達成しようというものだった。
朴槿恵(パク・クネ)前大統領に逮捕状が発付され、ソウル中央地検からソウル拘置所に護送された(写真:YONHAP NEWS/アフロ)
財閥改革を打ち出して政権は発足したが…
だが、清廉さが売り物だったはずの前大統領の末路は、親友の崔順実(チェ・スンシル)被告と共謀し、韓国最大の財閥、サムスングループの企業合併を支援して、見返りに433億ウォン(約43億円)相当の賄賂を受け取ったなど計13の疑いを持たれるという悲劇だった。
なぜなのか。朴前大統領の経済政策の来し方を辿ると、一つの姿が浮かんでくる。就任1年後に打ち出した経済革新3カ年計画は、①経済のファンダメンタルズ強化、②経済革新推進、③内外需の均衡ある発展──を柱に、選挙戦中から訴えてきた経済民主化を進めながら、改革を図ろうというものだった。
実際、就任後しばらくして「循環出資」と呼ばれる財閥グループ内の不透明な株式の持ち合い構造について、「新規の循環出資は認めない」という改革を打ち出している。循環出資は、「財閥内でオーナー家の持ち株比率の高い企業を中心にグループ内で持ち合い構造をつくり、オーナー家の持ち分が少なくても支配しやすくする」(日本総研の向山英彦・上席主任研究員)ためのものだ。
この不透明な構造が、オーナーの暴走など、ガバナンス不全を招き、政官経の癒着や財閥独占型の経済につながりやすくしているとして、長年批判されてきた。朴前大統領の施策は、新たに始める循環出資を禁止するというもので十分とは言えないが、財閥支配にくさびを打ち込もうというものではあった。
その一方で、大企業から下請けへの値下げ要求などへの罰則強化をはじめとした取引の公正化を図り、ベンチャー企業育成にも力を入れようとした。ベンチャー創出のために、インキュベーション施設を全国17カ所に設け、技術開発・導入支援も行った。
しかし、改革の勢いは長続きしなかった。経済革新3カ年計画が動き出して間もない2014年4月にセウォル号事件が起き、さらに1年後には重い肺炎を引き起こすマーズが国内に広がり、景気は停滞。実質的には改革より景気対策に追われる有様となった。
経済は停滞してきた
韓国のGDP(国内総生産)実質成長率の推移
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出所:日本総研の資料を基に本誌作成
住宅ローンの融資規制を緩和し、2014年夏からは韓国銀行が朴前大統領の政策に沿う形で政策金利も引き下げ始めた。平行して自動車購入にかかる特別消費税の引き下げも実施。これで住宅、自動車などをはじめとした消費が拡大し、落ち込む景気を持ち上げようとした。加えて、中国に接近し、輸出で成長する元の経済モデルを追求し始めた。
こうした施策に前後して、財閥配慮への回帰ともとれる動きが出てくる。2015年8月。会社のカネで自身の投資損失を穴埋めしたなどとして横領などで有罪判決を受け、収監されていた大手財閥、SKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長を特赦した。崔会長は4年の実刑判決を受け、その時点で2年半、刑に服していた。
経済の中国依存度は上がり続けてきたが…
韓国の輸出に占める中国依存度の推移
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出所:日本総研の資料を基に本誌作成
ベンチャー企業育成は十分進まなかった
「もっと投資をして景気回復に貢献せよということだろう」。日本の植民地支配終結を祝う光復節70年を祝うための特赦の一環と説明されたが、当時、韓国ではこんな皮肉な見方も広がっていた。個人消費の刺激で落ち込みかけた景気は、ある程度支えられたが、上向かせるには、より大きな投資が必要。そう考えたのかというわけだ。偶然の一致か、財閥改革の動きもその後、目立つものはなくなった。
一方で、ベンチャー育成は順調には進まなかった。元々、即効性のある政策などない分野だから予想はされていたものの、停滞感は募る。さらに、住宅投資の拡大などで個人の負債が膨れ上がり、その後社会問題にもなり始めた。朴前大統領にとっては、厳しい環境である。財閥改革に力を入れる余裕はこの状況の中でなくなっていったのだろう。
家計の債務が急増してきた
韓国の家計債務の可処分所得比の推移
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出所:日本総研の資料を基に本誌作成
振り返れば、韓国の財閥と政権の間は、持ちつ持たれつとも、癒着ともとれそうな関係が続いてきた。
例えば、今回の事件で実質的なトップである李在鎔(イ・ジェヨン)・サムスン電子副会長が逮捕されたサムスングループ。サムスンは過去にも、不祥事の度にオーナーを支えるグループの司令塔組織を縮小し、経営のオーナー色を薄めるようなことをしているが、事態が沈静化するとまた元に戻している。
何があってもオーナーの独裁を維持し続けようとしたかのようだが、政権は何もしていない。それどころか、途中ではオーナーへの特赦まで実施している。
具体的に見てみよう。最初は、サムスン創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏の時代の1960年代後半。当時は会長秘書室だったが、グループの肥料会社がサッカリンを建設資材と偽って密輸する事件を起こし、秉喆氏が67年に経営の一線を退くと、参謀本部である会長秘書室は大幅に縮小された。しかし、2年後に秉喆氏が会長に復帰すると、間もなく規模を拡大し始めた。
事件は、必然的に起きたのか
2度目は秉喆氏の息子の健煕(ゴンヒ)現会長が力を振るっていた2006年。政界や法曹界への不正資金提供疑惑などで、当時、「構造調整本部と呼んでいた会長秘書室の後継組織は戦略企画室に名称を変え、大幅に小さくなった」(安倍誠・アジア経済研究所東アジア研究グループ長)。
2008年には健煕会長が疑惑で会長をいったん辞任。同年7月には別の脱税容疑で有罪判決も受けた。ところが、09年に当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が冬季五輪の招致のためとしてスポーツ界に人脈のある同氏を特赦し、2010年に会長復帰するとすぐに現在の未来戦略室が発足。200人を超える規模にまた拡大した。
今回の事件で未来戦略室は解体に追い込まれ、主要子会社の社長らが参加し、グループ経営の議論の場ともなってきた社長団協議会も廃止となった。外からは、経営の中枢が崩壊したようにさえ見えるが、過去の経緯を見れば、どうなるかは分からない。
オーナー経営の維持は財閥の力の温存と一対であり、参謀本部の持続をその重要な要素であるとすれば、復活の可能性があると見るほかない。
財閥を育成し、それを駆動力として経済成長を図ってきた韓国はそのくびきから逃れられなくなりつつある。朴前大統領も、その例に漏れなかったのだろう。贈収賄事件は、その構図の中で“必然”のように起きた。そう見える。
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