3月15日の午後。東京都葛飾区にあるマクドナルド奥戸街道店に、緊張した面持ちで中学3年生男子と母親、その友人が来店した。3人が来た目的は、食事ではない。日本マクドナルドがこの日全国で開催した、アルバイトの仕事が体験できるイベント(クルー体験会)に参加するためだ。
マクドナルドのクルー体験会で、店長から話を聞く参加者。店長はマクドナルドや店の歴史、仕事の内容について説明。その後、参加者は店長から直接指導を受けながらバーガーを作った
3人は客席に通され、店長から米国で生まれたマクドナルドや奥戸街道店の概要や歴史、アルバイトの業務内容について、話を聞いた。店長はノートパソコンに資料を示して、丁寧に説明していく。
5分ほどの説明が終わり、3人はエプロンとキャップを身に付けて、カウンターの中に入り、最初に手洗いの指導を受けた。そして、ハンバーガーを作る台の前に立ち、店長から手ほどきを受けてチーズバーガーを作った。
「思ったより難しくなかったね」。参加者は笑顔で席に戻ると、自分で作ったバーガーを食べながら、店長と会話を弾ませた。
中学3年生の男子は、今春から高校生になるので、アルバイトを始めたいと考えているという。母親が「学校の試験中には休みを取れますか」と尋ねると、店長は「高校生の子たちは結構休みを取っているし、大丈夫ですよ」「違った学校の友達もできるし、視野が広がると思います」などと答えた。男子は安心した表情を見せた。話も弾み、体験会は40分ほどで終了した。
今回のクルー体験会は、参加者を専用のウェブサイトで受け付けた。「午前中には小さな子供を持つ主婦などが参加してくれました。この後に予約している人はいませんが、客席にいるお客さんに『クルー体験してみませんか』と声をかけます」と店長は語った。
「バイトはほぼ充足している」と言うが……
この日、マクドナルドは全社を挙げてクルー体験会を実施。創業以来、初の取り組みだ。ほぼ全店の約2900店で行い、テレビCMも打つほどの力の入れようだった。
大学生などが就職活動をする際、志望する企業で短期間の就業体験をするインターンシップ制度が日本でも普及している。今回のマクドナルドのクルー体験会はそのバイト版とも言える取り組みだ。
なぜ今、こうした大々的なキャンペーンに踏み切ったのか。最近のアルバイトの在籍状況について、下平篤雄副社長兼COO(最高執行責任者)は、「平均では充足しており、現状のビジネスに合った人数となっている。しかし、これから安定的に業績を伸ばして、継続的な成長を実現するためには、さらなる人材の強化が重要となっている」と説明する。
だが、現場からは、他の外食企業と同じく、深刻な人手不足の声が聞こえてくる。関東地方のある店舗では、慢性的にぎりぎりの人数で営業している状態で、この数年で応募が圧倒的に減ったという。2012年には年間約140人の応募があったが、2014年に70人に減り、鶏肉の仕入れ先による賞味期限切れ問題などが起きた後の2015年は40人にまで落ち込んだ。「直近の半年は30人以上の応募があり、まだましにはなったが高校生ばかり。深夜に働ける人がさっぱり応募してくれなくなった」と、その店舗の店長は話す。
もともとマクドナルドは手厚い人材教育を行うことから、外食業界の中でも親が子供を安心して働かせられる職場として知られていた。一方、時給は最低賃金に近い水準だった。それでもお金ではないスキルを身に付けられるアルバイトとして、一定の人気があった。
だが、マクドナルドがある駅前などの一等地では、外食店の“時給引き上げ競争”が激化している。東京都の最低賃金は932円で2014年10月時点の888円と比べて、50円近くも上昇した。JR山手線のターミナル駅近くの外食店の時給は、1000円以上が珍しくなくなっている。「深夜は25%分の手当が付くとはいえ、『日高屋』や『すき家』の時給と比べれば見劣りする。自分は高校生のころから5年以上働いているから続けているが、周りの友達には勧めにくい」とある大学生のアルバイトは話す。
体験会から2週間、8人中1人が応募
3月15日のクルー体験会に参加したのは約1万8000人だ。1店舗当たり平均6.2人の計算となる。このうち、どのくらいが採用に至るのか。
実は昨年春もテレビCMも含めた大規模な採用キャンペーンを実施し、全国で1万7600人を採用した実績がある。今年は去年の実績を上回ることができるのか。マクドナルドの広報担当者は、「今年はまだ、アルバイト募集のキャンペーンが続いている。また、体験会に参加したが、4月の新学期が始まってから考えて応募したいという方もいるので、今年の実績がどこまで伸びるかはまだ分からない」と話す。
首都圏のある店には8人が体験会に参加して、そのうち1人から応募があり、採用にこぎつけたという。だが、そこで働く社員は「かけた労力に見合っていない。お金ではない魅力があるといっても、会社として時給を引き上げることを真剣に考える時期になっているのではないか」と話す。ただし、時給の引き上げと、低価格を売りにするマクドナルドのビジネスモデルとの両立は簡単ではない。
マクドナルドのアルバイトは、既に働いているスタッフの紹介で採用するケースが多い。全国で働く12万人のうち、6割が紹介からの採用だ。「90年代にはチラシ広告だけで月に70人の応募があった」(ある社員)といい、完全に買い手市場だった。そんな同社にとって、この採用難を乗り切るには、様々な手段で自分たちの仕事を理解してもらい、魅力を伝えていくしかない状況になっている。
高校と連携してインターンシップも開催
クルー体験会だけでなく、マクドナルドは人材戦略について、様々な新しい取り組みを始めている。
今年3月、愛媛県松山市にあるマクドナルドの7つの店は、近隣の商業科の高校1年生25人をインターンシップとして、5日間受け入れた。まだアルバイトをしたことがない学生が、店で接客や調理に携わることで、職業観を考えたり、コミュニケーションの重要性を学んだりする。働いた時間は授業の単位として認められる。地域のフランチャイズチェーンオーナーと学校のつながりをきっかけに、このカリキュラムが実現した。
「インターンを通して、『働くとはどういうことか』『将来はこんな自分になりたい』などと、仕事について自分の言葉で語れるようになるという目標を設けて、取り組んでもらった」と人事本部フィールドHR部の津村有美子マネージャーは話す。店での実習だけでなく、マクドナルドが蓄積してきた人材育成のノウハウを生かして、事前と事後の授業にも関わった。
受け入れる店で働くスタッフにとっても、学ぶところが大きかったようだ。「今後は地域の店が中心になって、こうした教育に携われるようにしていきたい」と津村マネージャーは話す。
愛媛県松山市のマクドナルドのインターンシップで働く高校生。地元の商業科の学生で、授業の単位として認められる
取り組みは、地域貢献といったCSR(企業の社会的責任)の意味合いが強い。だが、こうした地域との接点をこれまで以上に増やすことが、採用につながっていく可能性はあるだろう。
既存店売り上げは14カ月連続で前年を上回る
日本マクドナルドホールディングスの業績回復は続いている。既存店の売上高、客数、客単価はいずれも2016年1月から17年2月まで14カ月連続で、前年同月を上回っている。2017年12月期の売上高は前年比4.3%増の2365億円、営業利益は29.9%増の90億円と、2期連続の増収増益を見込む。
ファストフードのビジネスモデルの中で、さらなる回復や成長の足かせになるのは、間違いなく人手不足だ。こうした環境に対応するため、日本マクドナルドは無人のオーダーシステムの開発を進めてはいる。だが、競合他社がアルバイトも使える保育所を整備したり(関連記事「ゼンショーが社内保育園を作る理由」参照)、奨学金制度などを用意したり、あの手この手で人材の確保に乗り出す中で、「働きがい」をメインに打ち出して募集するビジネスモデルは、今後どれだけ支持されるのか。
今回のアルバイトの募集キャンペーンは、5月末まで続く。全社を挙げた事業が成功となっても、採用競争を制す「次の一手」を考えなければならなくなるだろう。
とはいえ、他の外食チェーンではやらないような、全国規模のクルー体験会を実施するのは、外食の雄と言われたマクドナルドならではと言える。深刻化する人手不足に対応したビジネスモデルをいち早く構築するのも、雄の役割と言えるのではないだろうか。
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