英ロンドンのキングスクロス駅に入ってきた、日立製作所の新型車両「Class800」。色はヴァージン仕様の赤と白が基調。先頭車両の側面には「あずま」と記載されている(写真:永川智子、以下同)
3月18日、午前10時30分過ぎ。英ロンドンのターミナル駅、キングスクロスの8番ホームにゆっくりと車両が滑り込んできた。赤と白を基調とした真新しいデザイン。先頭車両には「Azuma」、その上には平仮名で「あずま」と記載されている。この日、英鉄道運行会社のヴァージン・トレインズは、テスト中の新たな鉄道車両を披露した。
車両は、日立製作所の最新鋭モデル「Class800」。日立にとっては、この車両が2012年7月に獲得した総事業費57億ポンドのIEP(都市間高速鉄道計画)の第一弾となる。2018年にヴァージン・トレインズのイースト・コースト本線にまず497両を納入し、その後、別の運行会社が運営するグレート・ウェスタン本線向けに369両納入する。「新幹線を作った日本の鉄道技術が集積された車両」とだけあって、英国での注目度も高い。会場には、ヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソン氏も駆けつけて挨拶に立った。
Class800は最高速度時速200キロでキングスクロス駅と北部のエジンバラ駅などを結ぶ。ロンドンーエジンバラの輸送時間を従来よりも22分短縮し、4時間となる。車両名の「Azuma」はその名の通り、英国の東側を走るヴァージンのイースト・コースト本線から着想を得たという。「新車両の運行を楽しみにしている」とブランソンも顔をほころばせた。
お披露目式にはヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソン氏(右から2人目)も参加。報道陣の注目を集めた
もっとも、多くの報道陣の関心は別のところにあった。英国のEU(欧州連合)離脱騒動が日立の鉄道ビジネスにどう影響するかという点だ。
英国のデービット・キャメロン首相は、EUを離脱するか否かの是非を問う国民投票を、6月23日に実施すると表明した。仮に離脱となれば、英国に拠点を持つ企業への影響は避けられないと見られている。
目下、英国で日立の鉄道事業は絶好調だ。先に記載したIEPの他、都市近郊鉄道向け車両などを次々に受注。全ての納入が完了すると、現在174両が走る日立製列車の数は約8倍に増加し、車両の新規受注シェアでドイツのシーメンスやフランスのアルストムを抑えてトップに躍り出る。
昨年9月には、英ニュートン・エイクリフに新たな鉄道車両の製造工場を開設。昨秋には、イタリアの防衛・航空大手フィンメカニカから車両製造事業のアンサルド・ブレダの買収も完了した。現在、欧州各国の部品メーカーなどと協力し、部品調達から車両製造までを欧州で手掛けるサプライチェーンを構築しており、世界の鉄道市場の約5割を占める欧州での事業拡大を急いでいる。2014年には鉄道事業の本社機能も英国に集約している。
その前提にあるのは、英国がEU経済圏の一部であることだ。認証手続きなどが統合され、モノの移動に対する負担が少ない欧州の「単一市場」の利点を最大限に生かそうとしている。
日立の鉄道事業のグローバルCEOを務めるアリステア・ドーマー氏。英国のEU離脱騒動についての質問が集中した
しかし、英国のEU離脱することになれば、こうした前提が揺らぐ。仮に離脱となれば、英国はEUとの関税などの取り決めを見直す必要が出てくる可能性もあり、単一市場の前提が崩れるリスクもゼロではない。展開次第では、日立鉄道の事業に影響が及ぶ可能性もある。
影響の範囲を、日立はどの程度考えているのかーー。これが多くの報道陣の関心にあった。
「影響を推測するのは時期尚早」
かくして、車両お披露目の場で会見した日立の鉄道事業のグローバルCEO(最高経営責任者)を務めるアリステア・ドーマー氏には、EU離脱に関する質問が集中した。その質問を想定していたドーマー氏も、紙を取り出し、用意した書面を読み上げた。その趣旨を要約すると、次のようになる。
他の多国籍企業と同じように、日立はEU市場へのアクセスのしやすさに魅力を感じ、英国に投資してきた。仮に離脱となれば、単一市場の魅力が減る可能性もあり、経済や貿易、人材獲得などの点で不透明感が強まる。長期的な事業への影響も避けられない。従って、日立にとっては英国がEUに残ることを望んでいる――。
ビジネスを考えれば、英国はEUに残留することが望ましい。ドーマーCEOはそう繰り返した。一方、仮に離脱した場合の影響については「推測するのは時期尚早」として、それ以上のコメントは避けた。
報道陣がこぞって、日立の発言に注目している理由は、当初は低いと見られてきた英国のEU離脱の可能性が、ここに来て急速に不透明さを増しているからだ。キャメロン首相は国民投票について「EUにとどまることが英国の国益にかなう」と語り、残留に自信を見せた。
しかし、現実には離脱を支持する閣僚が次々と登場し、足並みの乱れは目立っている。最大の争点である欧州大陸から流れ込む難民問題についても根本解決には至っていない。3月18日、トルコとの首脳会合でEUは不法に入国した難民をトルコに送り返すことに合意を取り付け、急激な難民流入を押さえ込もうとしているが、どこまで効果をもたらすかは現時点では不透明だ。
英調査会社のユーガブの調査では、英国民の「離脱」支持は「残留」を上回っている。昨年まで漂っていた「どうせ残留だろう」というムードも、今は完全に消滅している。
無論、影響を受けるのは日立だけではない。2月には、自動車メーカーの業界団体であるSMMT(英国自動車工業会)も離脱の懸念を表明した。英国には、トヨタ自動車や日産自動車が工場を抱えている。
国民投票まで、残り約3カ月となり、政治面でのキャンペーンは活発化している。国民だけでなく、企業にとっても6月23日の投票日まで気の抜けない日が続く。
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