トランプ大統領の初めての議会演説は、これまでのトーンとは一変して明るいものだった。ただし、政策立案が具体的に進展していないという現実も露呈した。特設サイト「
トランプウオッチ」のTRUMP WATCHER、丸紅米国会社ワシントン事務所長の今村卓氏が解説する。
暗く怖い現状描写を封印、夢と希望を語る演説に
演説のトーンはこれまでとは一変した。米国の明るい未来を強調し、議会に超党派での協力を呼びかける。「米国の惨状(American carnage)」というショッキングな表現まで飛び出すほど暗かった1月20日の大統領就任演説に比べれば、2月28日のトランプ大統領の米議会上下両院合同本会議での初めての演説は、米国の夢と希望を強調して国民に団結を訴えるという米国の大統領らしいものだった。
つい最近の遊説まで続いていたコアの支持層だけが視界に入っているかのような保護主義を正当化する極端な主張も消え、インフラ投資、大型減税を含めた税制改革、オバマケア(医療保険制度改革法)の撤廃と置換、規制改革を穏やかに論理的に訴える。野党の民主党や共和党主流派に対する攻撃的な口調も封印され、協力を呼びかける姿勢も目立った。トランプ大統領の就任から40日近く、混乱続出の政権運営に不安を抱いていた米国民の多くも、この演説を見て少しは安心したのではないか。CNNが実施した緊急世論調査でも、演説に好印象を持った有権者が78%に達している。これなら40%前半に低迷していたトランプ大統領の支持率も少しは上向くだろう。
重要政策が進展していない状況を露呈
問題は、トランプ大統領が演説で訴えた政策も夢の次元にとどまっていることである。最たる例がオバマケアの撤廃とより良い制度への移行(Repeal and Replace)を議会に求めた訴えである。
トランプ氏はオバマケアが崩壊しているから撤廃する、選択肢を増やして価格を下げ、良質な医療を国民に提供する、真に競争力のある全米規模の保険市場を作ると強調した。これに対して議場にいた共和党議員は総立ちで拍手喝采の様相だったが、その心中は複雑だったに違いない。議会共和党内では、保険内容の劣化や無保険者の増加を招かずにオバマケアを撤廃、置換する手段が見つからず、議論が紛糾しているのである。
共和党議員が地元選挙区で開く対話集会には、自分の保険がどうなるのか不安を訴える有権者が押し寄せていることもあり、オバマケアの撤廃を先行させて代替案は後から考えればいいという楽観的な議員は少なくなっている。議会演説でのトランプ大統領の訴えに対して、政権に妙案があるのなら早く出してくれと思った共和党議員が大半だろう。
トランプ氏が演説で議会に承認を求めた1兆ドルのインフラ投資法案も、昨年の選挙公約から具体的な政策への組み替えがほとんど進んでいない。一方で議会共和党にはトランプ氏ほどのインフラ投資への熱意はなく、むしろ財政赤字が膨らみかねないと消極的な議員も多い。このため、同党の下院指導部は、既にオバマケアの撤廃・置換と税制改革、予算などの審議を先行させることを決め、インフラ投資法案の審議は来年に持ち越しとの観測が強まっている。
野党の民主党はインフラ投資に積極的だが、今のトランプ政権には議会で民主党と調整を進められるような策士はいない。むしろ、議会演説でのトランプ氏のインフラ投資の訴えは、議会共和党に対しての優先順位を上げてくれという訴えであり、トランプ氏のコアの支持層への弁明だろう。
「国境調整税」に具体的な言及なし
税制改革も、演説では具体的な内容は乏しかった。ホワイトハウスは、そもそも議会演説は具体的な政策を説明する場ではない、今後の予算教書で示せばよいと考えているのだろう。だが、議会共和党内でも意見が割れている国境調整税に具体的な言及がなかったことから推測できるのは、トランプ氏とホワイトハウスの共和党指導部の距離であり、両者の意見の相違を調整して政策を作り上げていく機能と仲介役の不在である。
議会演説では中国やメキシコに対する高税率の制裁関税など、極端な保護主義の主張はなかった。米国企業が国内にとどまり、海外に流出しにくい法人税制にするとの主張にとどまったのも、トランプ氏の発想を政策に作り上げる機能が弱いという問題が解決していないからだろう。
ムニューシン財務長官は調整に動いている模様だが、財務省の他の政府高官は不在。通商分野では、ロス商務長官は2月28日に正式に就任したばかり、ライトハイザーUSTR(通商代表部)代表候補はまだ上院の承認手続き中である。トランプ氏が信頼しているとみられる側近のナバロNTC(国家通商会議)委員長も政策立案は不得手とみられる。財務省、商務省、USTR(通商代表部)の他の高官がそろうには時間が必要であり、税制改革は今後も議会共和党が主導するのだろう。
従来の外交に動きつつ、支持者との公約で線引き
外交・安全保障では、世界に直接、強力に関与すると訴えたことが選挙戦からの主張との違いだったが、一方で「自分は世界の代表ではなく米国の代表」との従来通りの主張もあり、世界における米国の役割への考えが変わったとはいえない。NATO(北大西洋条約機構)について支持を強調しつつ、加盟国の負担増を要求したことをみても、マティス国防長官、ティラーソン国務長官の外交・安全保障での影響力が強まったことで、トランプ氏の世界への関与についての慎重姿勢がやや修正された程度とみるべきなのだろう。
このあたりからは、トランプ氏のコアの支持層に対する公約へのこだわりと、どこまでマティス氏らの意見を聞くかの線引きも感じられる。議会演説では、白人労働者階級などトランプ氏のコアの支持層向けの露骨な発言は少なかった。それでも、同層との公約はけっして後退させていない。
世界への関与の限定もその一つである。トランプ氏は議会演説で「イスラム過激派」という表現を使ったが、それは20日に就任したマクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)の反対を振り切っての発言だったという。そうなったのも、イスラム過激派を米国内に入れない、イスラム過激派組織ISを抹殺するという公約があったからと思われる。
日本にとって安心できる演説だが…
日本にとっては、トランプ氏がNATOの加盟国に負担増を求める一方で、日本に駐留米軍経費の負担増を求めなかったことは評価できるだろう。2月10日の日米首脳会談に続いてであり、この問題は終わったとの確信はそのままでよいと思われる。
経済面での対日批判もなかったが、こちらは日米首脳会談と同様に、政権の準備不足が大きいだろう。むしろ、貿易赤字や不公正な貿易に言及しながら、そこでは中国やメキシコも名指ししなかったことから、二国間の貿易赤字を削減するための政策立案に、トランプ政権が手を焼いている様子も伺えるほどである。
一方で、トランプ氏から同盟国の日本への信頼や期待への言及もなかった。とはいえ、今回の議会演説では、特定の国への言及自体がほとんどなかったことからみて、ことさら問題視する必要はないだろう。それだけ、トランプ政権が国内問題に関心が集中しているということだ。逆に言えば、日本は米国、そしてトランプ政権にとって、言及されるほどの特別な国にはなっていないことが確認されたとも言えそうだ。
日経ビジネスはトランプ政権の動きを日々追いながら、関連記事を特集サイト
「トランプ ウオッチ(Trump Watch)」に集約していきます。トランプ大統領の注目発言や政策などに、各分野の専門家がタイムリーにコメントするほか、日経ビジネスの関連記事を紹介します。米国、日本、そして世界の歴史的転換点を、あらゆる角度から記録していきます。
Powered by リゾーム?