米クラフト・ハインツは2月17日、英蘭ユニリーバに対して約16兆円で買収を提案したことを発表した。(写真:ロイター/アフロ)
2月17日、世界の食品業界に衝撃が走った。
この日、米食品世界大手のクラフト・ハインツは、日用品・食品世界大手の英蘭ユニリーバに対して買収を提案したことを明らかにした。同社が提示した金額は1430億ドル(約16兆円)。1株当たり50ドルで、同日の株価の終値を18%上回る価格だ。
ユニリーバはボディケアの「ダヴ」や男性化粧品の「アックス」といったブランドで知られ、日用品では米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)に次ぐ世界2位。食品でもスープの「クノール」や紅茶の「リプトン」、アイスクリームの「ベン&ジェリーズ」といったブランドを保有する世界大手でもある。
一方のクラフト・ハインツも、クラッカー、クリーム、ケチャップなどの世界ブランドを多数持つ。クラフト・ハインツとユニリーバの直近決算の売上高を単純合算すると、買収後の新会社は約825億ドル(9兆2400億円)となり、食品の世界最大手、スイスのネスレの約895億ドル(約10兆円)に次ぐ規模となる。
仮に買収が実現した場合、買収金額は食品業界で過去最大となる。昨年10月に、ビール世界大手のアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ)が、同2位のSABミラーを約790億ポンド(約11兆円)で買収したが、クラフトの提案金額はこれを上回る。
提案を受けたユニリーバは、即座に拒絶のプレスリリースを発表した。その2日後の19日、クラフト・ハインツは買収の取り下げを発表。世紀の買収はひとまず幻に終わったが、食品業界の世界再編は今後も続く可能性が高い。
実は、今回のクラフトの買収提案と、昨年完了したABインベブの買収には、一つの共通点がある。双方の企業に出資する株主を調べると、「3Gキャピタル」という投資会社の存在に気づく。
同社こそ、近年の食品業界の巨大M&A(合併・買収)を仕掛ける影の主役にほかならない。
裏で糸を引く投資会社の存在
3Gキャピタル創業者の名は、ジョルジ・パウロ・レマン。ブラジルでは、伝説の投資家として知られている。
レマン氏は、米ハーバードを3年で卒業、元ブラジルのプロテニスプレーヤーといった異色の経歴を持つ起業家だ。1939年生まれの77歳だが、今も現役の投資家として世界を飛び回る。ブラジルの長者番付の常連で、現在はスイスのチューリッヒ郊外にテニスコートとプールを要した自宅を構える。
レマン氏の名を一躍有名にしたのが、他ならぬABインベブだ。同社の前身は、ブラマと呼ぶブラジルのビール会社だった。レマン氏は1997年、自身が創業した投資会社バンコ・ギャランティアを通じ、ブラジルのビール会社、ブラマを買収した。その後約20年で、世界シェア3割を持つ世界企業に育て上げた。
徹底したコスト削減と実力主義、そして資本効率を最大限に高めるM&A。レマン氏は、これらを忠実に冷徹なほどに貫き、会社を鍛え上げていく。
例えばコスト削減では、「ゼロベースバジェット」と呼ぶ予算の仕組みがある。これは毎年の予算を、前期比で汲み上げるのではなく、ゼロベースで積み上げていく。特に大事なのはコストで、交通費だけでなく、携帯電話の通信料といった細目まですべてを見直し、前年よりも必ずコストを抑えていくものだ。レマン氏はこの仕組みはブラマ時代から導入し、ABインベブで今も実践されている。
「コストはツメのようなもの、常にカットし続けていかなくてはダメだ」というのが、レマン氏の口癖。社員はムダなコストをかけないことを徹底される。平社員から社長まで含めて、社員の移動は基本的にエコノミークラス。CEO(最高経営責任者)であっても出張先のホテルはビジネスホテルに泊まる。役員に個室はなく、大部屋で仕事をする。
一方で、達成した成果には多額の金銭報酬で報いる。ABインベブの場合も、掲げた数値目標に対する達成度が、その年のボーナスに直結する。その金額は、最低でも給与の2倍、多い場合は10倍に達する。これが、従業員がたとえエコノミークラスでも耐えられるという原動力になっている。
社員の実力主義は徹底しており、結果が未達に終われば、上司から警告を受け、5W1Hに基づき、綿密な改善計画の提出が求められる。この警告が3回発せられると、ストライクアウト。実質的なクビが言い渡される。パフォーマンスの低い下位10%は常に入れ替えるのが、同社の暗黙のルールだ。
コスト削減で浮いたキャッシュは、社内に眠らせず、すぐにM&Aに回し、資本効率も徹底的に上げる。ABインベブのROE(自己資本利益率)は、2005年12月期の7.6%から2015年12月期には18.1%に上昇した。
Dream Bigが信条
ABインベブのカルロス・ブリトCEOは、レマン氏の薫陶を受けた愛弟子の一人だ。(写真:永川智子)
冷徹な実力主義を貫く一方で、レマン氏は強烈なビジョンを掲げる。「Dream Big、どうせやるなら世界一を目指そう」。レマン氏が経営に携わったり、投資したりする会社は、必ずこの経営理念の薫陶を受ける。買収した企業の経営者は、日々の業務よりも、理念を全社に浸透させることに力を注ぐように指示される。
この文化を徹底することで、自然と実力の伴わない者や、仕事のスタイルについていけない者は去っていく。その穴を埋めるように実力者や野心的な人材が入ってくる。安定した仕事を求める社員には苦しいが、逆に成果主義を好む社員には極めてエキサイティングだ。
3Gが投資した会社には、世界中から逸材が集まってくる。この優秀な人材が、ブラジルのローカルなビール会社を世界最大手に押し上げた。現在のABインベブのカルロス・ブリトCEO(最高経営責任者)も、バンコ・ギャランティア時代からのレマン氏の愛弟子である。
70歳を越えたレマン氏は今も現役だ。冒頭に触れた通り、ギャランティア時代の仲間2人と創立した3Gキャピタルを通じて、食品業界の世界再編を主導している。
2010年には米ハンバーガーチェーンのバーガーキングを約40億ドルで買収。その翌年にはニューヨーク証券取引所に再上場させた。2013年には、著名投資家ウォーレン・バフェット氏と組み、HJハインツを買収。2015年にクラフト・フーズと合併させた。そのクラフト・フーズが、今回ユニリーバに買収提案をしかけた。
3Gキャピタルは過去、何度も小が大を飲み込むM&Aを繰り返してきている。今回の買収も周到に準備しているはずだ。クラフトとユニリーバは、食品では競合するが、ユニリーバは現在、日用品事業に力を入れている。食品に注力するクラフトとは補完関係が期待できる。
投資家からはユニリーバは成長の踊り場にあると指摘されてきたが、規模の拡大はそうした停滞を打破できる可能性がある。クラフト・ハインツは「両グループが一緒になれば、長期的成長が可能な消費財のリーディングカンパニーになれる」と買収の理由を説明した。
ユニリーバが中核拠点を置く英国はEU(欧州連合)から離脱を決め、その煽りで通貨ポンドが急落した。為替の動向も、勘案しての提案だと見る金融関係者も少なくない。買収提案が明らかになった17日、クラフトの株価は10.6%、ユニリーバの株価も12.5%、それぞれ上昇した。
食品世界再編の呼び水に
ひとまずはメガM&Aを取り下げたクラフトだが、投資関係者は、今後も他の企業に買収提案を仕掛けるのではないかと見ている。その場合、米モンデリーズ・インターナショナルなどが標的になる可能性もあると言う。飲料業界でも、ABインベブが米コカ・コーラや米ペプシコを買収するとの噂が絶えない。「世界的な成熟を受けて、食品大手は成長ペースが落ち込んでいる。投資家からの圧力は一層強まる」と、ある外資系証券会社のアナリストは言う。
世界最大手のネスレも、M&Aを再び活発化させる可能性がある。2月16日にスイスの本社で決算会見を開いたウルフ・シュナイダーCEOは、「当面は発表すべき具体的なM&A計画はない」と断言した。だが、今回のクラフトの動きによって、戦略を修正する可能性もある。
世界最大のビール会社を誕生させた影の主役、レマン氏。世界の食品業界の再編は当面、彼を軸に展開されることになりそうだ。
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