危機を追い風に変える安倍首相の死角
TPP、税収活用策…これから表面化する甘利氏頼みのツケ
甘利明前経済財政・再生相の金銭授受問題の次は北朝鮮によるミサイル発射と難題続きの安倍晋三政権。それでも危機管理能力を発揮し、ピンチを政権への追い風に変える勢いだ。甘利氏退場の痛手を最小限にとどめ、経済政策を円滑に運べるかが次の焦点になる。
年明け以降、中国経済の失速や円高・株安、甘利明前経済財政・再生相の金銭授受問題といった国内外のリスクに見舞われ続ける安倍晋三政権。そこに今度は、北朝鮮による事実上の長距離弾道ミサイル発射という日本の安全保障を脅かす重大事案が発生した。
危機管理でしのぐ安倍政権
「毎日のように何かが起きている。気が休まる間もない」。安倍首相の側近がこう嘆くように政府・与党は一連の対応に追われているが、これまでのところ、政権への批判は広がりを見せていない。安倍首相をはじめとする政権キーマンによる危機管理が一定の評価を得ていることが大きな要因だ。
甘利氏の疑惑を巡っては、安倍首相は盟友であり、アベノミクスの司令塔を担う甘利氏を守り抜く考えを強調していた。ところが、甘利氏が大方の予想を覆す「サプライズ辞任」に踏み切り、安倍首相が間をおかず石原伸晃氏を後任に起用する手際の良さを見せた。
「野党に本格追及される前に対処したことで傷口が小さくてすみ、安倍首相も決断力をアピールできた」。自民党のベテラン議員はこう評する。
野党の戦術の甘さなども背景にあるとはいえ、甘利氏辞任後の各種世論調査で軒並み内閣支持率がアップした。安倍首相や菅義偉官房長官を中心とする巧みなダメージコントロールの証しと言える。
1月の核実験に続き、7日にミサイル発射の暴挙に出た北朝鮮に関しても、安倍政権はほぼ想定通りの対応を見せた。政府はミサイル発射を把握して3分後に行政機関の緊急ネットワークシステムで発信。前日から公邸に入っていた安倍首相はすぐに省庁に万全の対応を指示し、首相官邸で記者団に「断じて容認できない。国民の安全と安心を確保することに万全を期す」と強調して見せた。
安倍首相はさらに、北朝鮮に対する独自制裁の準備を急ぐよう関係閣僚に指示。日米韓3カ国で安保協力を進め、対北朝鮮包囲網作りに注力する構えだ。
北朝鮮が国際社会の警告を無視して挑発行為をエスカレートし、日本やアジア域内の安保リスクが高まっている現状は決して容認できるものではない。国際社会が結束して北朝鮮に強い圧力をかけ、日本としても危機対応をさらに急ぐ必要がある。
その一方で、こうした状況に安倍政権が毅然と臨む姿勢を強調することで、「世論の関心が内政より外交安保問題に向かい、結果として内閣支持率の維持・回復効果が見込めるのも確かだ」と安倍首相周辺は漏らす。
北朝鮮対応もプラス材料に
高い危機管理能力を発揮し、リスクを最小限に食い止め、追い風に変える。今回の北朝鮮への対応もまた、政権へのプラス材料となりそうな雰囲気が漂っている。
国会論議での野党の存在感が低下する中、夏の参院選に向け足場を固める安倍首相。7日には側近の下村博文自民総裁特別補佐が衆院の解散・総選挙について「年内に90%ぐらいあるのではないか」と言及し、安倍首相が既に「戦闘モード」にあることを示唆した。
安倍首相はこのところ、国会審議の中で憲法改正の必要性に踏み込んだ発言を繰り返している。
野党分断を図るとともに、自らの支持基盤に対する配慮などが狙いだ。自民幹部は「支持率の回復を背景とした政権運営への自信の表れでもある」と指摘する。
だが、不安材料はあちらこちらにくすぶっている。最大の懸案はアベノミクスの行方だ。
世界経済の変調に起因する円高・株安傾向は長引く見込みだ。経営者や家計の心理が冷え込めば、賃上げと設備投資の増加を通じた経済の好循環シナリオや2%の物価上昇目標の達成はいよいよ遠のくばかりだ。
外的要因によるショックを和らげ、日本経済の体質改善と成長力の底上げを促すには、成長戦略の再強化や着実な実行が欠かせない。今こそアベノミクスの旗振り役の出番のはずなのに、屋台骨だった甘利氏は退場してしまった。
政府内では、マクロ経済運営や成長戦略、TPP(環太平洋経済連携協定)など主要政策を一手に担ってきた甘利氏が抜けた影響はこれから表面化してくるとの懸念が広がっている。
「甘利抜き」の影響はこれから
関係者が最も心配しているのが、TPPだ。参加12カ国は今月4日に協定に署名。日本政府は2016年度予算案の成立後、できるだけ早期にTPPの承認案や農業対策を盛り込んだ関連法案を成立させるシナリオを描く。
だが、交渉を担った甘利氏が辞任し、答弁は「にわか勉強中」の石原氏が受け持つことになった。野党は交渉の経緯などを厳しく問いただす構えで、石原氏が答弁に苦慮する場面も相次ぎそうだ。
国会審議が混乱し、TPP関連法案などの成立が大きくずれ込む事態となれば、参院選への影響も出かねない。このため、自民内からは「何とか石原大臣にのらりくらりとかわしてもらい、最後はタイミングを見計らって押し切るしかない」(幹部)といった声が出ている。
ただ、こうした安倍政権側の姿勢に対しては、専門家などから「TPP交渉の具体的な経緯や論点について、せっかくの国会での論議が表層的なものに終始してしまうことになれば大問題だ」(みずほ総合研究所の菅原淳一・上席主任研究員)といった指摘も根強い。丁寧さを欠く国会運営を続ければ、世論の反発を招く恐れもある。
甘利氏が去ったことで、霞が関の主要省庁幹部からは今後の政策調整への戸惑いの声もあがっている。
甘利氏はこれまで、信頼を寄せる経済産業省幹部や内閣府幹部を軸に各省間の調整を図るスタイルを確立していた。
菅義偉官房長官や麻生太郎副総理・財務相との調整役も果たし、安倍首相が目指す成長重視路線の先導役を演じてきた。
石原氏に同様の役割を期待するのは難しいとの見方が広がっており、経産省幹部は「甘利さん頼みのツケが一気に回ってきた感じだ」と漏らす。
こうした中、注目されるのは、景気回復で増えた税収の活用策に関する議論の行方だ。安倍首相は増収分を一億総活躍社会の実現に向けた関連施策などに充当したい考え。これに対し、財政規律を重視する財務省は増収分を国債発行の抑制などに使うべきとの立場で、今後、政府内の議論が本格化する。
経済財政諮問会議を取り仕切る立場だった甘利氏は、安倍首相の意向を踏まえ、増収分を財源にした政策拡充に前向きな姿勢を示していた。その矢先での甘利氏の退場で、バトンを引き継いだ石原氏のかじ取りが試されることになりそうだ。
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