1月17日、英国のテリーザ・メイ首相はEU(欧州連合)離脱に向けた交渉方針の詳細を明らかにした。演説の中でメイ首相は、英国に拠点を持つ企業がEU域内で自由にビジネスを展開できる「シングルマーケット(単一市場)」から完全に離脱すると断言。EUとは新たなFTA(自由貿易協定)を結ぶ考えを示した。
この結果、英国を中核拠点に欧州でビジネスを展開してきた企業は、今後ルールの変更を余儀なくされる可能性が高い。日本企業を含むこれらの企業が拠点戦略の再考を迫られるのは必至だ。
1月17日、テリーザ・メイ首相は、英国がEU単一市場から完全離脱する方針であることを明言した(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
ロンドンのバッキンガム宮殿近くにある外務省の公館、ランカスターハウス。故マーガレット・サッチャー首相(当時)は1988年、ここで、英国企業にEU(欧州連合)の単一市場参加を呼びかけるキャンペーンを展開した。
それから29年後。史上2人目の女性首相となったメイ首相は1月17日、奇しくも同じ場所で、今度はサッチャー氏と正反対の主張を訴えることになった。
この日の午後0時45分過ぎ、メイ首相の表情は、どこか吹っ切れた様子だった。
「約6カ月前、英国民は変化することを選択しました。我々の国の未来を輝かしいものにするために投票しました」
テンポ良く切り出すと、EU離脱後の英国が目指す理想の国家像を語り始めた。
英国は、世界から尊敬されるグローバルな貿易国となるべきであり、同時に、国内で結束し、強く、自信に満ちた国となるべきである。その意味で、国民が決断したEU離脱という選択は、英国を理想の国にしていくための良い機会である。我々は決して、EUの理念を否定するものではない。一方で、離脱を決めた以上、EUに半分入り、半分出るといったことはあり得ない――
そして、離脱後は、対等な交渉を通じて、EUとより発展的な関係を構築したいと続けた。
EUとはFTAを結ぶ
誰もが注目していた発言が飛び出したのは、開始から20分が経過した頃だった。
「ここではっきりさせたい。英国はEU単一市場のメンバーに残ることはない」
英国は、EUとの交渉に当たって、(1)Certainty and Clarity(=確実性)、(2)Stronger Britain(=競争力の維持)、(3)Fairer Britain(公平性の維持)、(4)Truly Global Britain(=真のグローバル化)――の4つの規律に沿って交渉する方針を示した。この4つ目の「真のグローバル化」の中で、EUとの貿易協定について言及した。
EUの単一市場に加盟し続けるためには、「ヒト」「モノ」「カネ」「サービス」に関する移動の自由を受け入れる必要がある。しかし、これらを引き受けることは、EUが運営する司法の下に今後も置かれることを意味する。それでは、EUを離脱したことにならない――単一市場から離脱する理由を、メイ首相はこう説明した。
その一方で、EUとは対等な関係で、新たなFTAを結んでいく方針を掲げた。「貿易の障壁となるものは、可能な限り取り除く」(メイ首相)。約45分にわたった演説の最後は、「子供、孫の世代のために明るい未来を構築しよう」と締めくくった。
「完全に希望を打ち砕く内容」
産業界やEUが繰り返し英政府に要望していた単一市場への加盟維持を、メイ首相は真っ向から否定した。今回の演説は、「企業の希望を完全に打ち砕く内容」(ある大手欧州銀行のアナリスト)と見る向きが多い。
「ある程度覚悟はしていたが、やはり企業には厳しい展開だ」。メイ首相の演説を聞いた後、英国に拠点を置く日本企業の担当者は肩を落とした。
EU単一市場からの離脱は、欧州ビジネスを英国で統括する企業の拠点戦略に影響を与えるのは間違いない。現状は、単一市場域内のモノの貿易に関税はかからない。これを利用し、自動車メーカーをはじめとする多くの製造業がEU全域を一体のものとしてサプライチェーンを構築してきた。
演説の中で、メイ首相は自動車や金融など一部の産業はFTA交渉の中でこれまでの条件が維持される可能性があると述べたものの、今後の展開は全くの白紙。交渉次第で条件が変わる可能性もある。
金融界への影響も避けられない状況だ。単一市場の一環として、銀行は、英国で免許を取得すれば欧州全域でビジネスを展開することが可能だった。これも困難になる可能性が高い。昨年の後半から、「2017年に入れば英国から大量の金融機関が欧州大陸に拠点を移転する」との見方が絶えない。今後これが現実となる可能性がある。
もっとも、英国政府も企業が英国から大量に去ることを望んではいない。そのため、法人税が非課税となる特区を創設するなど、様々な誘致策を用意するとフィリップ・ハモンド財務相は明言している。しかし、現時点では具体的な政策は何も明らかにしておらず、企業の不安を和らげるには至っていない。
メイ首相は今回の方針を基に、予定通り2017年3月に離脱交渉を始め、2019年3月までに離脱を完了させるとしている。
もっとも、計画通り交渉を始められるかについては不透明だ。その1つが、昨年11月にロンドンの最高裁判所にあたる高等法院が下した判決の最終結論だ。高等法院は、政府がEUに対して離脱を通知するには、「英国議会の承認を得る必要がある」との見解を示し、「議会の承認は不要」とする政府の考えを退けた。政府は高等法院の判決を不服として上訴。その最終結論が1月下旬頃に出る予定だ。
既にメイ首相は下院において、2017年3月に離脱交渉を開始するとしたEU離脱計画への承認を獲得している。しかし、高等法院の最終結論が地方議会の承認も必要との方針を示せば、状況は複雑になる。英国のEU離脱にかねてから反対しているスコットランド民族党 の同意を取りつける必要があるからだ。同党のニコラ・スタージョン党首は、今回のメイ首相の演説に対しても猛烈に反発している。
メイ首相は今回の演説で、EUと交渉して作る最終案について上下両院の承認を得るとも明言した。ただ、これが否決された場合にどうするのか、という質問に対して明確には答えなかった。
演説後、週明けから下落が続いていた通貨ポンドは対ドルで急反発した。不透明だった計画がある程度クリアになったことが理由とされる。それでも、英国に中核拠点を置いて欧州でビジネスをする多くの企業にとって、今年が波乱の1年となるのは間違いない。
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