この騒動を、馬総統が党内の政敵を排除するために仕組んだものと見る向きは少なくない。それを信じるならば、馬総統は、自身が半年前に陥れようとして失敗した政敵に、手痛いしっぺ返しを食らったことになる。

 もしこの小さな偶然がなければ、学生たちは排除され、中台サービス協定の批准作業は民主主義の手続きを正しく踏みつつ何事もなかったかのように進んだだろう。

 だが、23日間続いたこの「立法院占拠」という異常事態は台湾全土で連日報じられ、市民の協定に対する関心は否応なく高まってしまった。台湾全土を賛否ともに轟轟たる議論が覆った。上記世論調査によれば、立法院占拠後には協定を「支持する」と回答した人の割合は25.3%と6ポイント以上減少している。

 王氏は4月6日、中台間の協定内容を監視する「両岸協定監督条例」が発効しない限り、立法院ではサービス貿易協定の批准審議を再開しないと宣言。学生たちに退去を促した。これに学生らが応じたことで、10日、立法院占拠は終結した。

 馬政権と中国が描いていた中台連携構想は、少なくともそのスケジュールを大幅に遅らせることを余儀なくされることになった。審議が再開されても、世論の反発を抑え込むのは容易ではないだろう。

 中国台湾事務弁公室の報道官は4月16日「中台両岸の市民は、両岸関係の平和的発展のプロセスが妨害、破壊されるのを見たいと思っていない」と不快感を示した。

 もはやとどめ難いと思えるほどに加速し続けていた「中台接近」の時計の針は、その動きをようやく、わずかに緩めたのだった。