ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選挙に向けて共和党の候補者指名を確実にした。昨年、共和党の予備選挙への立候補を語り始めたときは、誰もが冗談にしか思っていなかったのだが…。
立候補を正式に表明したのは昨年6月。その数週間前の世論調査では、共和党候補者としてのトランプ氏の支持率はわずか3%。10人以上いた共和党の候補者の中では、泡沫候補だった。それなのに立候補表明後、次々とほかの候補者を撃破し、11カ月後の2016年5月には共和党の大統領候補となることを確実にしたのだから、驚くほかない。
トランプ氏は、長年にわたり世界一の大都市であるニューヨークにおいて不動産ビジネスを行い成功を収めた人物である。不動産ビジネスに不可欠なのは交渉力やPR力。トランプ氏がこれらの手法に長けた「達人」であろうことは間違いない。そしてその手法を今回の予備選挙でも駆使している。
トランプ氏はどのようにして共和党の予備選を勝ち抜いたのか、そして、われわれ日本人がトランプ氏の手法から学べることはあるだろうか──。今回は、トランプ氏の「悪の交渉術」「悪のPR術」について考察する。
過激な発言をすればするほどマスコミが大きく取り上げることを熟知したドナルド・トランプ氏。マスコミもトランプ氏の老獪な戦略にはめられたか? (写真:The New York Times/アフロ)
攻撃をしかけてくる「プチ・トランプ」氏は海外では珍しくない
まず最初に前もってお断りしておく。言うまでもなく、トランプ氏の手法は必ずしもほめられたものではない。アメリカ国内においても多くの非難を受けている。ましてや、われわれ日本人にとっては思わず顔をしかめるような、品のない手法も数多い。
しかし、私がアメリカで弁護士として長く仕事をした経験から言うと、時折、われわれ日本人の常識では考えられないほど、品のない攻撃をしてくる弁護士が出てくることがある。プチ・トランプ氏とも言えるようなタイプである。トランプ氏を見ていると、私は以前に対峙したことのあるそういった弁護士たちをつい思い出してしまう。
日本社会も国際化が進んでいる以上、こうした攻撃的な人物に背を向けているだけでは、やられてしまうだけだ。トランプ氏から学ぶべき手法もあるかもしれない。あるいはトランプ氏のような戦略を取るのは控えるにしても、交渉の場に同じような交渉相手が出てきたとき、動揺せずにその狙いを探り、冷静に対応する心の準備はできるようにしておきたい。
ここでは共和党予備選挙戦中に見られたトランプ氏の交渉術やPR術について分析してみたい。私が思うに、トランプ氏の手法には以下の3つの特徴があるように思う。
「トランプ氏の手法の特徴」
① 「高い(無茶な)要求」から始める
② 相手を攻撃する
③ 非常識な発言でとにかく注目を集める
①から順に説明していこう。
① 「高い(無茶な)要求」から始める
交渉術のセオリーの1つとして挙げられるのが、「高い要求からはじめる(“Start high”)」というものだ。アメリカ国民もこのセオリーについてよく知っている。トランプ氏は、この“Start high”を以下の2つの観点から駆使している。
(1)自分の交渉力のアピール
トランプ氏は、「不動産ビジネスを通じて培った自分の交渉術は、アメリカ大統領としての職務を行うにあたり大いに役立つはずだ」と繰り返し主張している。
・「イスラム教徒の外国人の一時入国禁止」
・「1100万人の不法移民の国外への強制送還」
・「メキシコ国境への壁の建設」
上記のような無茶な政策はいずれも、移民国家であるアメリカの政治家が本来、主張するはずもない荒唐無稽なものだ。だからこそ、マスコミがこぞって大きく報道する。
トランプ氏はビジネスにおける豊富な経験から、「すべては交渉だ」と考えているふしがある。そしてアメリカ人はたいてい、交渉における強者が好きで、交渉の達人を称賛する。もし大統領になったとすれば、交渉技術を駆使してとてつもなく「高い(無茶な)次元」から交渉を始めるであろうトランプ氏を、アメリカ人は頼もしく思う。実際にはそこまで強硬にできないかもしれないし、譲歩もするはずだが、最初に浴びせるパンチの強烈さゆえに大きな見返りを得るかもしれない。そういう期待感がある。
(2)有権者そのものを交渉相手とみなしている
トランプ氏は、有権者そのものを交渉相手とみなし、無茶な要求や発言を繰り返してきた。例えば、「イスラム教徒の外国人は一時入国禁止」「メキシコ人はレイプ犯」といった発言である。これらの発言はあり得ない発言としてアメリカ中で強く非難された。アメリカにはイスラム教徒やメキシコ系(ヒスパニック)がたくさんいる。彼らは、怒り、恐れている。しかし、それも計算の範囲内かもしれない。大統領選挙の本選が進むにつれて、徐々に軌道修正してくるのではないか。
今後、トランプ氏がイスラム教徒やヒスパニックに「やさしい」メッセージを送れば、最初がひど過ぎた分、改心した良い人に見えるかもしれない。無茶な発言から始めることにより、軌道修正した後の自分をよく見せようとしているのかもしれない。
② 相手を攻撃する
トランプ氏は自らの行動において、相手を攻撃することに重きを置いている。トランプ氏の著書「Trump: Art of Deal」(邦題:『トランプ自伝――アメリカを変える男)に以下のようなフレーズがある。
"…when people treat me badly or unfairly or try to take advantage of me, my general attitude, all my life, has been to fight back very hard.”
=「人が私を悪くあるいはアンフェアに扱ったり、あるいは足元を見たりした場合、私の通常の態度は、私の人生を通して、極めて激しくやり返すというものだ」。
しかし実際には、やられたらやり返す、というよりは、やられる前に攻撃をしかけているように見える。まず共和党の候補者が攻撃を受けた。トランプ氏は予備選の間、対立候補者を次々とこき下ろし続けている。
驚いたのは、女性のルックスさえも攻撃の対象にしたことだ。攻撃されたのは、最後までトランプ氏と競合を続けたテキサス州選出の上院議員のテッド・クルーズ氏の妻。トランプ氏は、自らのツイッター上で、自らの妻である元モデルの美しい顔写真とクルーズ氏の妻の写りの悪い顔写真を並べ、「写真は何千もの言葉より価値がある」などと対立候補の妻のルックスをこき下ろした。クルーズ氏は、はらわたが煮えくり返ったに違いない。
唯一の女性候補者であった、元ヒューレット・パッカードCEOのカーリー・フィオリーナ氏に対しても同様だった。「あの顔を見ろ! 誰が投票するんだ? あの顔が我々の次の大統領だと想像できるか? 女性だから悪いことは言いたくないが…しかし本当に、本気か?」などと、やはりルックスを対象とした攻撃をし続けた。特に女性の権利に敏感なアメリカではありえない下品な攻撃だ。
対立候補をバカにするようなあだ名をつけるのも特徴である。フロリダ州選出の上院議員であるマルコ・ルビオ氏に対しては“Little Marco”(「ちっちゃなマルコ」)と呼び続け、からかっていた。また序盤戦は共和党のトップを走っていた元フロリダ州知事のジェブ・ブッシュ氏に対しては“a very low-energy kind of guy”(「全く精気のないやつ」)、“Spoiled Child”(「甘やかされた子供」)などと馬鹿にした発言を繰り返した。クルーズ氏には、予備選中、ずっと“Lyin’ Ted”(「うそつきテッド」)と呼び続けていた。
さらには、クルーズ氏に対しては「実は父親がケネディ大統領の暗殺にかかわっていた」とか、まったく根拠のない無茶苦茶なコメントを出したりもしていた。ほかにも沢山あるが、これ以上は控える。
こういった言葉による攻撃は、米国の大統領選挙に出るような、世の中の道理がよくわかった69歳の大人が、対立候補に言うはずのないような品のないものばかり。ほかの候補者は、いじめっ子の悪口のような下品な攻撃を受け続けて、だんだん嫌になってきた、という影響もあっただろう。有権者の目にはそういった候補者が弱者に見えてくる。そうなれば支持率が落ちる。選挙戦からの撤退につながる。トランプ氏は、こうやって対立候補の戦意を喪失させ、支持率を下げて撤退させていったのだ。
これからの大統領選挙の本選の相手となるだろう民主党のヒラリー・クリントン元国務長官。さっそく“crooked Hilary”(「不正なヒラリー」)などと呼ばれている。今のところクリントン氏は「トランプ氏の攻撃による挑発には乗らない」と言っている。挑発を無視し続けることができるのか、それで有権者の支持が得られるのか、あるいはどこかで反撃に転じるのか、これからが見ものだ。
あからさまな争いを好まないわれわれ日本人からすると、トランプ氏の公の場での対立候補への手ひどい攻撃にはびっくりさせられる。しかし、前述したが、敵対的な国際交渉の場には、時に相手方にこういった攻撃をしかけてくることを何とも思わないような人物がいる。相手が嫌な思いをしようが、相手が傷つこうが、下品なやつと思われようが、自分の目的のためには関係ない。交渉相手が戦意を喪失して、交渉を続けたくなくなって、しぶしぶ多額の支払いに応じてくれば、それでよい。こうした人物が交渉相手の場合は、対抗意識を高く維持し、戦意を喪失しないようにこらえないといけない。
③ 非常識な発言でとにかく注目を集める
トランプ氏は、アメリカの4大ネットワークの一つであるフォックス・ニュースのインタビューで、メキシコとの国境に壁を建設することについて、“Not negotiable”(「交渉の余地なし」)と強調している。つまり自分が大統領になればメキシコとの国境に必ず壁を建設する。交渉の余地はない、と言い切っているのだ。
トランプ氏によれば、この壁の建設コストはざっと100億ドル(約1兆900億円)。しかもこれにかかる費用を全てメキシコに負担させると言っている。アメリカのメキシコに対する貿易赤字は580億ドル(約6兆3220億円)。しかしトランプ氏は涼しい顔で「メキシコにとっては(対アメリカ)580億ドルの黒字なんだから、100億ドル程度の負担は悪くはないだろう」と言っている。途方もない主張だ。
「イスラム教徒の入国禁止」も常識はずれの主張だし、いじめっ子の悪口のような対立候補への攻撃もアメリカ大統領選挙の予備選のものとは思えない非常識なものばかりだ。
この狙いは何だろう。マスコミに取り上げさせるためである。マスコミはトランプ氏の要求の途方のなさ、品のなさに驚きながらも、だからこそ、対象となったヒスパニック、イスラム教徒、共和党の候補者たちにコメントを求める。彼らは反論したり、攻撃し返したりする。それに対してトランプ氏は「倍返し」で応える。
有権者にとっては、報道が過熱するほど、面白いショータイムとなる。トランプ氏とすれば、相手を傷つけたり怒らせたりしても、有権者に下品だと思われても、とにかく自分中心のショーを見せることができる。自分に注目が集まる。それを狙っていたのだ。
トランプ氏は著書『Trump: Art of Deal』の中でこうも述べている。
"One thing I've learned about the press is that they're always hungry for a good story, and the more sensational the better… The point is that if you are a little different, a little outrageous, or if you do things that are bold or controversial, the press is going to write about you."
=「私がマスコミについて分かったことの1つは、彼らはよい(面白い)話にいつも飢えていて、そしてそれはよりセンセーショナルなほうがよいということ。もしあなたが(他人と)少し違っていたら、あるいは少し常軌を逸していたら、あるいは大胆あるいは物議を醸すようなことをしたら、マスコミはあなたについて書いてくれるということだ」
ちなみにこの本は1987年に出版された。それから30年近くたった後の大統領選挙においてトランプ氏は自著に書いたことを実行している。そして今までのところは功を奏しているようだ。
マスコミは、トランプ氏の術中にはまった?
もっともアメリカ人の多くもその手法について気づき始めている。つまりマスコミがトランプ氏の術中にまんまとはまったことにより、トランプ氏が成功したということだ。オバマ大統領も任期中最後となった毎年恒例のホワイトハウス記者会ディナーにおいて、皮肉を込めて記者たちに次のように述べている。
”I hope you all are proud of yourselves.”
=「あなた方皆が(トランプ氏の快進撃をもたらしたことについて)誇りに思っているといいのだが」
つまりマスコミによるトランプ氏についての過熱報道がトランプ氏を作り上げたとジョークを通じて示唆したのだ。
ちなみに日本もトランプ氏の攻撃の対象である。「駐日米軍の経費を全額負担させる」などと発言している。日本の政治家は、真に受けて心配し始めているかもしれない。しかしトランプ氏は、交渉で勝つために、日本に対しても「高い要求」から始めている。そのために攻撃をしかけているのだし、またあえて常識からかけ離れた主張を繰り返しているのだ。真に受けて対応しなくてよいのではないかと私は思う。日本の有力政治家が反論すれば、それはアメリカでもニュースになる。それこそトランプ氏の思うつぼである。
日本人ビジネスマンとして、トランプ氏から学べる教訓について考えてみよう。例えば、交渉相手や競合相手から自社への手ひどい攻撃がニュースになったようなときである。それは相手が「仕掛けた」ことかもしれないので要注意だ。下手に同じ土俵で対抗すると、火に油を注ぎ、エスカレートさせてしまう恐れがある。地雷を踏めば、状況はさらに不利な状況になるかもしれない。そうならないよう、相手の真の狙いを見極めて冷静に対応することが大切だ。
以上、トランプ氏の交渉術やPR術について考察してきたが、必ずしも日本のビジネスマンに真似をしてほしいものではない。しかしこうした手法を知っておけば、少なくとも、トランプ氏のような人物が交渉相手となったときに冷静な対処ができるかもしれない。
ここまで書いてきて、ふと気づいた。私もこういう記事を書いたということはトランプ氏の戦略にはまってしまったということではないのか──。やはりトランプ氏、恐るべしである。
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