しかし、白川はオファーを快く思わなかった。

 ロマンポルノの予算はそれまでの映画の4分の1とはいえ、ピンク映画の予算はさらにそれを下回る。少ない予算と限られたスタッフで作品を世に送り出してきていた白川にとって、経営難とはいえ、名門の日活がロマンポルノを始めることは「自分たちの世界を荒らされる」ことだと感じたからだ。

 白川は日活のスタッフと会った時にその思いを辛辣な言葉で遠慮なくぶつけ、それっきりと思っていた。

愛から生まれる葛藤

 が、後日、再度の連絡を受ける。驚きながら台本を読んだ白川は主役のオファーを受け、日活のスタジオに向かうことになるのだが、そこで「この映画は成功させなければならない」と決心する。

女優 白川和子。ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下りの情事』の主演女優。白川は「映画の火を消してはならない」という強い決意を抱いて撮影現場に臨んだ

 撮影所にいるスタッフから「こんなのやりたくない」「でもここに残って映画を作りたい」という葛藤を感じたのだ。その葛藤は、映画の灯を消したくないという映画愛から生まれるものだと察知した白川は、与えられた役を演じきった。

 記念すべき第1作『団地妻 昼下りの情事』の封切前、撮影所では試写が行われることになった。伊地智らプロデューサーのほか、普段は試写に呼ばれないようなスタッフまで集められて試写室は満員。上映が始まり、そして64分がたって、部屋が明るくなる。そのときのざわめきは異様なものだった。

日活撮影所試写室。完成した『団地妻 昼下りの情事』は、撮影所の全スタッフに向けて試写が行われた。その作品は集まったスタッフに強い衝撃を与えた。(C)日活

 これからは、こういうものをつくっていくのだ。

 その場にいた全員がそう理解させられ、中には辞めることを選んだ人もいたが、残ると決めた人たちの腹が決まった。

 1971年11月20日、『団地妻 昼下りの情事』は封切られた。全国の上映館には10日間で1館あたり7000人が詰めかける大ヒットを記録。以降17年にわたって、日活はロマンポルノ路線をひた走ることになる。