ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下りの情事』(1971年公開)。この作品がなければ、その後のロマンポルノはなかった。(C)日活

 時は1971年。カラーテレビの普及などにより映画が斜陽の時代を迎え、観客が減る映画館になんとか人を呼び戻そうと、名門・日活が起死回生を狙って手掛けたもの。それが「ロマンポルノ」だ。

 それまでのピンク映画とは違うという触れ込みだったが、それでも、過去に石原裕次郎や小林旭、吉永小百合ら大スターたちと映画を作っていたスタッフにとって「10分に1回、セックスの場面を作る」などといったルールは、にわかには受け入れがたいものだった。

日活撮影所。完成当時、東洋一とも言われたこの撮影所を存続させるために、日活はロマンポルノへの方向転換を決めた。(C)日活

 伊地智啓は当時、日活に入社して11年目。社会派映画を撮りたいという夢を持ちながら現場で経験を積み、そろそろ助監督から監督に昇進しようかというタイミングで、まさかのロマンポルノ進出という事態に直面した。

 周囲では「ポルノなんかやっていられるか」と憤り、退職する者が相次いだ。しかし伊地智は残った。

 「やめるという選択肢はどういうわけか自分の中にはなかった。残っていれば何か道が開けるだろうと」

 そんな伊地智に会社は「プロデューサーをやってほしい」と伝えた。映画監督という夢をあきらめ、撮影の現場を離れるという現実を、伊地智は「何か道が開けていくはず」というわずかな期待を支えに受け入れた。

映画プロデューサー 伊地智啓(いじち・けい)。のちに数々のヒット作を手掛けることになる伊地智は、監督昇進目前に、助監督からプロデューサーに転向。ロマンポルノの始動に携わった

2週に1本、予算は4分の1

 ロマンポルノのプロデューサーに抜擢されたのは伊地智を含め、当時、助監督だった5人。彼らには「10分に1回」のほかにもルールが課せられた。上演時間は70分以内、新作は2週間に2本のペースで、予算はこれまでの4分の1と困難ばかり。そもそも、10分に1度、セックスを描いていてはストーリーを持たせることは難しい。

 難しさはキャスティングにもあらわれた。5人のプロデューサーが知る俳優の中に、裸になってもいいという人物は、女も男もいなかったのだ。

 手を尽くして探した結果、すでに他社のピンク映画で人気を博していた白川和子にたどり着く。