「『プロジェクトX』を作っているとき、日本を支えてきたハードのインフラは1960年代、70年代に作られたと実感しました」
そう話すのはNHK-BSプレミアム『アナザーストーリーズ』のプロデューサー、久保健一だ。
「黒四ダム、東京タワー、霞が関ビル、全部、そうです。一方で、ソフト、いわゆる文化は、その後の80年代につくられて、それが今につながっているような気がしています。必要不可欠なものが手に入った後、そういった文化の礎が生まれたのは、必然だったのでしょう」
沢田研二のシングル
その80年代の幕開けとなる1980年1月1日、沢田研二のシングル『TOKIO』が発売された。作詞をしたのはコピーライターの糸井重里、B面の『I am I』の作詞はやはりコピーライターの仲畑貴志だった。
その後1982年に、糸井は「おいしい生活。」、仲畑は「おしりだって、洗ってほしい。」というコピーを披露。耳に残るコピーを持つCM新時代の扉を開いた。『アナザーストーリーズ』では、糸井と仲畑、そして堀井博次という3人の視点でこの時代を見つめ直す。
1.堀井博次
関西を拠点とする堀井博次たちのグループは、関西電気保安協会など地元では有名な面白いCMを手掛けていた。9歳で終戦を迎えた堀井は、世の中の価値観がひっくり返る時代を体感している。だから、いつひっくり返るかわからないようなものに惑わされない、人の本音を刺激し笑いを誘うようなCMを作り続けた。
元電通関西支社 堀井博次率いる堀井グループは1980年代、奇想天外なCMを連発しお茶の間に笑いを届けた
あるときには、大阪にある蚊取り線香の会社から、全国で放映する、電子蚊取りマットのCMづくりを依頼される。
堀井は当時、阪神タイガースで4番を打っていた掛布雅之をキャスティングした。それが「カカカカ掛布さん、蚊に効くものは何でしょう」という落語家の勢いある呼びかけに、たじろぎ笑いながら掛布が「キキ金鳥マットです」と返す、何とも言えない掛け合いを生み、商品の知名度を上げることになる。
しかし、セリフが吃音を助長するなどのクレームが寄せられ、放送中止に…。
堀井博次。爆笑CMは、街でこんな人に出会った、あんな人に出会ったと言う世間話のような会話から生まれたと言う
一転、ピンチに追い込まれた堀井たちだったが、へこたれない。
映像はそのままに、セリフを「カコカケカコカケ掛布さん」「蚊には金鳥マットです」に差し替えた。
こっちのナンセンスがだめなら、別のナンセンスで。商品への愛情を笑いに変えて、人々の心を掴む。決して上からの目線ではなく、あくまで低い目線で、みんなの「おもろい」に火をつけて、笑いの共感の中で商品を売る。そんな新たな潮流を生み出した。
へこたれずに「亭主元気で」
今ではすっかり有名になった防虫剤のCMでは、セリフにとどまらず、全編差し替えも経験している。
女優の木野花ともたいまさこが派手なミニスカート姿で商品名を連呼するそのCMでは、それを冷ややかに見守る女性のセリフが多くの人の共感を呼んだ。しかし、あまりにリアリティがありすぎるということになり、お蔵入りに…。
もたいまさこ(右)と木野花がミニスカートの衣装で臨んだCMは、お茶の間の笑いと共感を誘い、大ヒット
もちろん、堀井たちはへこたれない。ならばこれでどうやと打ち出したのが、「亭主元気で留守がいい」。この言葉は、1986年の流行語大賞に選ばれた。
バブルに浮かれる人々がたくさんいた時代。しかし、堀井はあくまで低い目線で、いわゆる市井の人々を笑かすCMを作り続けた。子供の頃、世間を覆っていた戦争熱が霧消するさまを知る堀井には、バブル熱が弾けるさまが見えていたのかもしれない。
2.仲畑貴志
笑いを軸に共感を得て商品を売る堀井に対して、実感を通じた共感を得てきたのが仲畑だ。日本ではだれもトイレでお尻を洗っていなかった時代、ある新製品に関する仕事を依頼された。15万円もするその商品がなぜ必要なのか、最初は実感できなかったという。
そこで、その商品を手掛けていた企業の本社へ向かった。
用意されていたのは青い絵の具。それを手に付けて、ティッシュで拭くようにと促される。拭いても拭いても、手の青は消えない。すると担当者が言った。「水で洗えば、きれいになります」。
「これはえらいこっちゃと思った。これは洗わないとあかんわって思ったわけよ」(仲畑)
仲畑貴志。「CM界の巨人」と称される。1981年、カンヌ国際広告映画祭で金賞に輝いたCMに託した思いとは
実感から「おしりだって」
そして生まれたのが、『おしりだって、洗ってほしい。』。結果としてTOTOのウォシュレットへは注文が殺到し、10万台を超える大ヒット商品になった。
このCMにかかわる前、酒造会社系の広告会社に勤務していた仲畑は、廉価な酒の広告を望んで手掛けていた。殺処分を寸前で逃れた小さな犬が京都の街をさまよい歩く姿には、豊かになっていく日本で、“負け組”に分類されそうな人たちの思いを重ねていた。
「世の中、負け組のほうが多いじゃない」「そういうところの共感、とりあえずやろうや、みたいなニュアンスが伝えられたらいいなって思ってね」
このCMはカンヌ国際広告映画祭金賞を受賞している。
3.糸井重里
「おれ、一生これ以上にいいコピーを書けないんじゃないのって思ったもん。これもういいやって思うくらい、満足だったんですよね」(糸井)
機内で「おいしい」
糸井がそう振り返るのは『おいしい生活。』という、デパートのためにつくられたコピー。2011年に発売された『日本のコピーベスト500』(宣伝会議)ではベストワンに選出されている。
このコピーは、海外ロケからの帰りの飛行機で誕生した。
「機内食ってそんなにおいしいものじゃないと思っていたのに、おいしいんですよ」
そのときに、望んでいたのはこれだと思ったという。いいわるい、大きい小さい、高い安い、そういった価値観を乗り越えた“おいしい”。
「おいしいって思うものに囲まれるのが一番嬉しいんだって思って」
その場でナフキンに「おいしい生活」と書き込んだ。この、売らんかなではない静かなメッセージは、難攻不落と思われていたウディ・アレンにこの広告への出演を決断させる要因の一つとなった。
糸井重里。「おいしい生活。」は戦後の日本のコピー ベスト500(宣伝会議)の第1位に選ばれた
※ ※ ※
よく知られているように、NHKは企業のCMを流さない。しかし、11月9日夜9時からの放送は特別。「掛布さん」も「タンスにゴン」も「おしりだって…」も「おいしい生活。」も流れる。
コピー1本で大金が動く…。ともすればバブルの産物と括られがちなヒットCM黄金時代だが、人々の心を捉えた作品を振り返れば、「身近な共感」がそのベースにある。では、それらを生み出した異才たちの価値観はどう培われたのか。その後、どんな作品が生み出されたのか。それぞれのストーリーが紡がれる。
(敬称略)
新刊『今だから、話す 6つの事件、その真相』
好評発売中
当連載『時効スクープ~今だから、聞けた』でご紹介してきたNHK-BSプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」の数々のストーリー。そこから選りすぐりの6つの事件を収録した書籍ができました。番組ディレクターたちの「現場の声」とともに、事件の新たな一面に光を当てます。
当時は話せなかったが、今なら話せる。いや、「真実」を話しておくべきだ――。過去に埋もれた「思い」を掘り起こすと、「知られざるストーリー」が浮かび上がってきました。
<改めて知る、6つの事件>
●日航機墜落事故 1985
レンズの先、手の温もり、「命の重さ」と向き合った人々
●チャレンジャー号爆発事故 1986
悲しみを越えて、「夢」を継ぐ者たちがいる
●チェルノブイリ原発事故 1986
隠されたはずの「真実」は、そこに飾られていた
●ベルリンの壁、崩壊 1989
「歴史の闇」を知る者が静かに、重い口を開いた
●ダイアナ妃、事故死 1997
作られたスクープ、彼女の「最後の恋の駆け引き」
●大統領のスキャンダル 1998
翻弄し、翻弄された3人の女と、2人のクリントン
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