
NHK-BS『アナザーストーリーズ』のチーフプロデューサー、久保健一は1972年生まれ。最近、美空ひばりのCDを買った。久保はながらく、美空ひばりを「歌のうまい歌手のうちのひとり」だと認識していた。たしかに声ののびは素晴らしいし、テクニックもある。うまい。けれど、彼女と同世代の世代の人たちが、彼女を「うまい」ではなく「すごい」と表現する理由がわからなかった。
アナザーストーリーズで美空ひばりを取り上げてから考えが変わった。たしかに彼女はすごいシンガーだった。
病魔と闘いながら、歌い続ける
美空ひばりは1937(昭和12)年生まれ。12歳でデビューすると、大人びた歌唱力が評価され、天才少女歌手と褒めそやされた。1952年に15歳で歌った『リンゴ追分』が大ヒット、1954年には17歳で紅白歌合戦に初出場している。
その後も、『柔』(1964年)、『悲しい酒』(1966年)、『真赤な太陽』(1967年)など、着実にヒットを飛ばした。
久保と同世代の人に、美空ひばりの記憶が刻まれるのは彼女が病魔に冒されてからだろう。1987年、50歳になる直前に公演先で緊急入院をし、3カ月以上にわたる闘病生活に入る。退院後も療養生活を余儀なくされた。
しかし、1988年、彼女にはどうしても立ちたいステージがあった。竣工直後の東京ドームでの、後に不死鳥コンサートとして多くの人の記憶に残るコンサートだ。女王復活を印象づけるものだったが、彼女は相当に痩せていた。
翌1989年2月。ラストステージとなった福岡・小倉でのコンサートでは、彼女の声はかつてほどは出ていない。それを補おうとするテクニックが、歌にすごみを添えている。

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