設計を具体的な工法に落とし込む構造設計のめどが立っていなかったからだ。見た目も機能も素晴らしい競技場を、どう建てたらいいのかが、分かっていなかったのだ。

川口衛29歳、「未知の構造設計」に挑む

 事態の打開は29歳の青年、川口衞に任された。川口は福井県出身。地元で建築を学び、その面白さに目覚めて上京し、構造設計の権威であった東京大学教授の坪井善勝の研究室の門を叩いていた。ちょうど吊り屋根の研究に取り組んでいた川口は坪井に指名され、「今までの例にあるようなやり方ではできまい」と直感していた構造設計に挑むことになる。

斬新なデザインを実現に導いたのは20代の若き技術者、川口衞だった。彼は仕事と家庭の間で板挟みとなりながら、難題に取り組む

 案の定、難しい。柱を2本建て、そこにメインケーブルを渡し、そこから縦横にサブケーブルを張って屋根の曲面を実現するはずが「ケーブルネットだけでは合理的な曲面ができない」、ケーブルがたるみ、屋根の形が安定しない。

コンピューターのない時代、建設にあたっては10メートルを超える模型がつくられ、強度計算が繰り返された

 現場は川口を待てない。開会まで1年となり、工事は見切り発車かつ急ピッチで進められる。建設会社で吊り屋根工事を担当していた大木栄一は「あの工事ってのは、とにかく図面ができてなかったわけですよ」という。「作りながら図面になってったということで」。

屋根工事の担当者・大木栄一。代々木競技場ほどの突貫工事は唯一だったと語る

 ようやく柱を2本建てるところまできた。問題はケーブルだ。川口は頭を悩ませ続けるが、そこには希望があった。

「あの頃の日本というのは、戦争に負けちゃって、ようやく15年、16年経った頃なんです。その日本の技術で、感性、感覚で、世界中が感心するようなことができるはずだと。それを世界に見せてやろうっていう、そういう意識があった」

 その意識が、サブケーブル代わりに鉄骨を使うという世界初の工法を生み出すアイデアに結びつく。

独特なフォルムを形づくるのは、つり橋の構造を参考に考案された"つり構造"。建設現場はまるで工事中の橋のようだ

 これで問題解決。今度こそ、今度こそ急ピッチで屋根が吊り上げられた――わけでもなかった。