北朝鮮上空にさしかかったとき、当時32歳だった副操縦士の江崎悌一が動いた。
犯行グループの監視の中で、世界共通の緊急用周波数121.5MHzを使い、無線に呼びかけたのだ。
《Any Station, Any Station, This is JAL8315, JAL8315. Do you hear me?》
返事が返ってくる。
《JAL8315, This is Seoul app. control. Go ahead.》
応答したのは、当時韓国空軍に所属し、ソウルの金浦空港にいた管制官チェ・ヒソク。直後に周波数を金浦空港専用の134.1MHzに変えるよう指示を出す。北朝鮮が会話に割って入ってくるのを防ぐためだ。
周波数を変えた後、江崎は再び質問をする。
《Pyongyang approach?》
答えはイエス。
ただし、聞こえてきたのは先ほどソウルと名乗ったのと同じ声だった。
そのとき、江崎とチェは確信した
チェはこのとき、どんな手を使ってでも、よど号を金浦空港に導くという任務を韓国中央情報局(KCIA)から与えられていた。「これは閣下の指示だ」と。
“閣下”とは、軍事政権下にある韓国の大統領パク・チョンヒ。なぜ“閣下”はそう命じたのか。その答えは、後になってうっすらと見えてくる。
江崎は、今度は平壌と名乗る声がソウルと名乗ったものと同じであることに気付いていたが、犯行グループは疑うことすらしない。
チェは犯行グループに目的地が変わったことを悟られないよう、小刻みに指示を出し、少しずつ、少しずつ、よど号の進路を南へ向かせる。都市部を外し、北朝鮮を横断する格好で朝鮮半島の西側にある黄海上空へ導くと、あとは一路、ソウルへ。
江崎は最後の交信で“Pyongyang”へこう呼びかけた。
《Thank you, Sir・・・》
チェはそれで、よど号はわかっていると確信した。
「『サンキュー』に特別に『サー』と付けて言ったのです。私は安心しました。それで彼は金浦だと気付いていると感じました」
思わず「サー」と付け加えた側の江崎も、チェの胸の内を察していた。
「『サー』まで付けちゃったんで『お前も知ってるな』って思ったんじゃないかと」

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