1984年に始まった山口組と一和会による抗争は「山一抗争」と呼ばれた。完全終結まで足掛け5年続き、両組織あわせて29人が死亡。逮捕者は560人に及んだ

 2011年に全国47都道府県に暴力団排除条例が整ったことで、日本国民は、暴力団や暴力団員への利益の供与が禁じられた。利益の供与とはたとえば、トラブルの解決を依頼し、それに対して金品で礼をすること、宴会場を貸したり食事を提供することだ。が、どこからどこまでが利益供与なのかは、自治体や解釈によって異なるのが実態だ。

 彼らに取材をする側も、何が彼らへの利益供与になるのかなど、敏感にならざるを得ない。

 4月11日放送のNHK-BS「アナザーストーリーズ」では、33年前に起きた広域指定暴力団・山口組の分裂騒動、通称・山一抗争について、当時の組員へのインタビューやNHKのアーカイブ映像を交えて特集する。

なぜ、それほどまでに

 いつもよりも手数をかけながらもわざわざ山一抗争をテーマに取り上げたのは、あれは何だったのかを整理したいからでもあり、暴力団がよりアンタッチャブルな、あってはならない存在になってもなお、コンビニの雑誌コーナーに行けば、暴力団についての記事を載せた実話系の雑誌が並んでいるからでもある。

 売れない商品はコンビニには置かれない。暴力団を積極的に取り上げる雑誌がコンビニに居場所を得ているのは、それを買って読みたい人がそれなりにいるからだ。なぜ、ルール上遠ざけなければならない存在に、我々はそれほどまでに関心を持つのか。そこも出発点になっている。

 33年前に山口組で内紛が勃発したのは、カリスマ性の高かった三代目組長・田岡一雄の死去がきっかけだった。武闘派の竹中正久が四代目に就任するものの、古株の山本広らの一派が反発したのだ。竹中は武闘派でありながら六法全書を読むという男であり、その素顔は一概にはくくれない。ただ1つ言えることは、バブル到来を前に「経済ヤクザ」という言葉が出始めていた中、ヤクザにとっては資金源であるシノギの稼ぎ方に端を発し、その在り方・生き方までもが変わる、大きな分岐点にさしかかっていたということだろう。

 内紛は、1985年1月26日に竹中が山本一派により銃殺されたことでヒートアップし、関西の路上や競輪場などで、一般市民をも巻き込む争いに発展した。これが山一抗争だ。一とは、山本らが山口組から分裂して旗揚げした一和会を指す。