所有するカメラの台数の問題などから、TBSが神宮外苑の銀杏並木の脇道を手放すとそこを抑え、30歳のエースカメラマンを送りこんだ。
200メートルの特注レールで勝負
その男の名は設楽國雄。その年の夏に開催されたプロ野球の天覧試合の生中継や、80年代半ばに、最高視聴率62.9%という驚異的な視聴率をたたき出した朝の連ドラ「おしん」などを担当した、伝説のカメラマンである。

設楽は移動ショットで勝負に出ることにした。高さ2メートル、長さ200メートルの特注のレールをつくりそれを現場に設置し、二人を乗せた馬車と同じ速度でその上を滑らかに移動し、併走しながらのショットを撮ることに決めたのだ。

レールの費用は当時の金額で800万円ほど。NHKの中継全予算の5分の4が、レール作りに充てられた。そこまでしたのは、上下左右のブレをなくしたかったから。
「何としても安定した映像でね、みなさんにじっくり見ていただける映像が撮れればいいなって。それがもう基本にありますから、心の底に」
カメラを下ろせ、アップを狙え
出遅れたのは、情報も予算もなかった日本テレビだ。
ただ、TBSの鈴木に一矢報いてもいた。事前情報を元に撮影に適した長い直線を持つ三宅坂の撮影ポイントを訪れた鈴木は、地主から、すでにそこは日本テレビが先に抑えていると聞かされたのだ。
鈴木は驚きながらも、一人の男のことを思い出していた。そして、ルートがどこになろろうと、ここは通るに違いないと勘を働かせた日本テレビの担当者が牛山純一だと知って、納得した。

鈴木と、後に多くのドキュメンタリーを手がけ「テレビの鬼」とまで言われた牛山は大学の同級生だった。
日本テレビの牛山はテレビカメラを建物の屋上に設置し、遠景を撮ることで勝負を挑もうと考えていた。
しかし、作戦変更。その決断は、本番の3日前に下された。
牛山の下で、中継チームのサブリーダーを務めた池松俊雄は、方針をガラリと変えたときの牛山の言葉をよく覚えている。
『国民が一番見たいのは、美智子さんの顔だろ?』
『アップだよ、アップなんだよ』
屋上に上げたカメラはすべて下ろし、アップ撮影用に再配置を始めた。
Powered by リゾーム?