野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜
1996年9月17日、気温5度のクアーズ・フィールドにて
1968年、大阪で生まれたその男は、89年、ドラフトで史上最多の8球団競合の末、近鉄バファローズに入団、プロ野球選手となった。恵まれた体躯をグイッとひねるトルネード投法は人々の目を釘付けにし、剛速球と鋭いフォークで三振の山を築く圧巻の投球はプロ野球ファンの心を鷲掴みにした。
道なき道を
ルーキーイヤーに18勝で最多勝、さらに新人王、沢村賞、MVPなど賞を総なめにした後も勝ち星を重ね、入団から5年間で79勝を挙げた。
しかし94年、退団。そして、メジャーリーグへ。ロサンゼルス・ドジャースとのマイナー契約から始まった挑戦は、全米に「NOMOマニア」を生み、2008年、日米通算201勝で引退するまで続いた。
NHK-BS「アナザーストーリーズ」プロデューサーの久保健一は振り返る。
「『大リーグで通用するはずがない』『日本プロ野球を捨てた裏切り者』…野茂さんの大リーグ挑戦に対するバッシングは酷いものでした。僕はそれに猛烈な違和感と怒りを覚えました。道なき道を切り開こうというチャレンジスピリットが、なぜ日本では認められないのか、と。そしてその後、大リーグで大活躍すると、今度は一気の手のひら返し。また、違和感です。さらに言うと、引退までの数年間、なかなか勝ち星が重ねられなくなってからも、野茂さんはいくつもの球団を渡り歩きながらチャレンジを続けました。僕は、その姿に強い共感を覚えましたが、報じられるのは試合結果のみ。もちろん、自分もマスコミの人間ですから、限られた取材リソースをどこに配分するかという理屈は分かっているのですが、3Aで投げている野茂さんの姿こそ、開拓者だ!と何度となく思っていました。その後、何度も野茂さんの番組を企画しながら実現しなかったのですが、ようやく今回『野茂ストーリー』にたどり着くことができました」
NOMOマニアの一員である久保の記憶には、数々のエピソードが刻まれている。その中から今回、スポットを当てたのは「ノーヒットノーランの夜」だ。
野茂の偉業の舞台となったクアーズ・フィールド。標高1マイル(約1609メートル)という高地に位置するため、気圧が低く空気抵抗が少なく、打球が飛びやすい。ここでの試合は乱打戦が多く、“打者天国”とも呼ばれる
野茂英雄はメジャーリーグで二度、ノーヒットノーランを達成している。その一度目は、新人王を獲得した翌年の1996年9月17日、強打打線を誇るコロラド・ロッキーズとの最終カードでのことだった。場所はロッキーズの本拠地で、高地にありボールが飛びやすいことから打者有利とされるクアーズ・フィールド。試合は雨のせいで予定より2時間以上遅れ、21時過ぎに始まった。気温は5度にまで下がっていた。
トルネードを封印
野茂の立ち上がりは不安定だった。体を大きくひねるトルネード投法から繰り出されるボールはコントロールがばらつき、1回裏、フォアボールでランナーを出し、盗塁も許す。このパターンは2回裏も同様で、点を取られるのは時間の問題のように見えた。
野茂は3回裏から、ランナーがいなくてもセットポジションで投げるようになる。
ロッキーズの当時の監督、ドン・ベイラーはこのとき「野茂は何をすべきかに気付いた」と証言する。その何かとは盗塁を阻止すること。「自分で、この流れを止めないといけない、と分かったんだ」
対戦相手コロラド・ロッキーズの監督 ドン・ベイラー。試合前に「野茂の攻略は済んでいた」そうだが…
一方で、野茂の150km/hを超えるストレート、魔球と呼ばれたフォークを受け続けてきたロサンゼルス・ドジャースの捕手のマイク・ピアッツァによると、野茂がセットポジションで投げるのは制球力を高め、かつ、試合を速く進めるためだという。実際に野茂は3回裏を三者凡退で切り抜けており、要した時間は2分42秒。1回裏には8分16秒をかけていたので、3分の1近くに短縮されている。
ではなぜ野茂は、試合のペースを速めようとしたのか。ピアッツァは狙いをこう理解していた。
「試合のペースが速まると、守備陣も守りやすくなります。ピッチャーがテンポ良く投げると、守備陣の調子が上がり、打撃に良い影響が出るのです。野茂の狙いはそれでした」
野茂の女房役、正捕手マイク・ピアッツァ。“ノーヒットノーラン”のもう一人の立役者
しかし4回裏、またしても野茂はこの回の先頭打者バークスを四球で歩かせる。そして、主審のビル・ホーンが「後になって考えると、分かれ目だった」というプレーが起こる。
アウトをひとつとった後、ガララーガが放った鋭い打球は三遊間へ飛んだ。ショートのギャグニーはぎりぎりでそれ追いつき、二塁に投げ、ファーストランナーのバークスをアウトにした。
ショートゴロ。このときのギャグニーの捕球体勢では、一塁に投げてアウトを取るのは難しい。
ホーンは「もしランナー(バークス)がいなければ、(ショートへの内野安打となって)ガララーガは一塁セーフ。この時点でノーヒット・ノーランはなくなっていたでしょう。フォアボールでランナーを出していたことが幸いしたのです」と振り返る。
勝負所を掴む
6回にもまた、勝負所が訪れた。
野茂はまたしても先頭打者のエリック・ヤングに四球を与えた。ヤングは以前、野茂と対戦したときに1イニング3盗塁を決めていた俊足の持ち主だ。当然、リードを大きく取る。そこに野茂は牽制球を投じて一・二塁間に挟み、アウトをもぎ取る。
その後、この日三度目の打席が回ってきたバークスは、いつもならセンター前に抜けていくような高く弾んだ打球を軽々と野茂に処理され、このピッチャーは記録を狙っているのではと強く意識するようになる。
ロッキーズ打線が焦り始めたことを、ドジャースの正捕手は察知していた。
「キャッチャーは、バッターがどれくらい打ち気にはやっているか、それを見抜くのが仕事です。相手が攻撃的になれば、それに応じて戦略を変えます」とピアッツァはいう。
「彼らが早いカウントで打ってくるのに気付き、早め早めにフォークを使いました」
7回、8回もノーヒットに抑え、9回表に打者としての野茂がこのイニング3つめのアウトを献上した時点で、スコアは9対0。ドジャースの勝ちは確実で、あとはロッキーズが本拠地で屈辱を味わうか、それを回避するかだけ。敵将のベイラーは「誰かひとりでいい、ノーヒットノーランを破ってくれ」と願っていた。
セカンドゴロが二つ続き、打席にはバークス。6回にピッチャー強襲のゴロを打ったバッターだ。狙いはストレート。フォークは見逃すか、カットしてファールにすることを決めていた。
エリス・バークス。コロラド・ロッキーズの強力打線“ブレイク・ストリート・ボンバーズ”の一人
初球のフォークは見送ってボール。2球目もやはりフォークで、これはカットしてファールに。3球目はボール、4球目は空振り。これでツーボール・ツーストライクの平行カウント。
メジャーに愛された男
野茂は何度か首を横に振る。ピアッツァは何のサインを出したか覚えていない。バークスはストレートが来ると踏んでいた。が、野茂の110球目はフルスイングしたバットから逃げるように落ちていった。野茂が表情を変えずに小さく右手でガッツポーズを作ったとき、時刻は23時57分。終わってみれば、3時間を切るハイスピードゲームだった。
あれから20年近くが経ったが、コロラド州デンバーにあるクアーズ・フィールドでノーヒットノーランを達成したことがあるのは、2016年のシーズン終了時点で野茂ただひとりだ。この試合の模様はMLBが公開する動画「9/17/96: Nomo's No-No」で見ることができる。
久保はなぜ、この試合を選んだのか。
「力いっぱいの剛速球でバッターを豪快にねじ伏せていく。野茂さんにはそんなイメージを持つ人が多いと思いますが、この試合には『別の一面』がよく表れています。試合開始まで2時間も待たされ、震えるような寒さの中、ぬかるんだマウンドに立つ。ただ力任せに投げるピッチャーが、そんな試合で好結果など期待すべくもないでしょう。しかし彼は、試合の流れを冷静に捉え、トルネードを封印し、テンポを上げ、したたかにゲームを自分のものにして、誰ひとりなし得なかった偉業を達成しました。NOMOが常に研究を怠らず、どれほど真摯にベースボールと向き合い続けたか。それを知るからこそ、ともにプレーした選手やメディアは今も彼をリスペストしている。道なき道を切り開き、メジャーリーグを愛し、そして愛されたNOMOのアナザーストーリーをぜひ改めて堪能してください」
あの日を、本稿に登場した関係者への取材で振り返る『アナザーストーリーズ 野茂英雄ノーヒットノーラン~NOMOが伝説になった日~』は、4月4日火曜日21時、BSプレミアムでプレイボール。
新刊『今だから、話す 6つの事件、その真相』
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当時は話せなかったが、今なら話せる。いや、「真実」を話しておくべきだ――。過去に埋もれた「思い」を掘り起こすと、「知られざるストーリー」が浮かび上がってきました。
<改めて知る、6つの事件>
●日航機墜落事故 1985
レンズの先、手の温もり、「命の重さ」と向き合った人々
●チャレンジャー号爆発事故 1986
悲しみを越えて、「夢」を継ぐ者たちがいる
●チェルノブイリ原発事故 1986
隠されたはずの「真実」は、そこに飾られていた
●ベルリンの壁、崩壊 1989
「歴史の闇」を知る者が静かに、重い口を開いた
●ダイアナ妃、事故死 1997
作られたスクープ、彼女の「最後の恋の駆け引き」
●大統領のスキャンダル 1998
翻弄し、翻弄された3人の女と、2人のクリントン
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