
改正が議論されるようになり、自民党が改正草案を公表し、また、施行70年という節目を迎え注目度が上がっている日本国憲法。日本で義務教育を受けた人なら、国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重をうたったものであることはよくご存じのはず。
その第1条にはこうある。
〈天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。〉
象徴天皇と国民主権を述べたものだ。だが、この日本国憲法が公布される9か月も前に、日本のある地域で作られた暫定憲法に、こんな一文が記されていた。
〈大島ノ統治権ハ島民二在リ〉
6人の村長とお茶屋の主人と船大工と
つまり、島民主権。ここでいう大島とは、伊豆大島だ。ある暫定憲法とは、伊豆大島とその周辺で使われたかもしれなかった憲法のことだ。

1946年1月29日、GHQは北方領土や小笠原諸島と同様に、伊豆諸島を日本から行政分離することを命じていた。驚いたのはその地域の住民たち。伊豆諸島の大島でも、即座に6つの村の代表が集まり、話し合いが持たれた。日本から独立して、どうやって暮らしていけばいいのか。
治安は悪化し、食糧難にも陥った中で、島民たちが始めたのは、独自の憲法を作ることだった。生きていくのがやっとという混乱期に、なぜ彼らは、憲法にこだわったのか?
地元で大島暫定憲法の研究を続ける中田保は、当時の人たちは、これを理想とするという目標がほしかったのではないかという。

「だってゼロからスタートするんだもん、言ってみれば」
制定に関わったのは、元村村長の柳瀬善之助をはじめとする6つの村の村長のほか、敬虔なクリスチャンである御茶屋の主人・高木久太郎や、人望の厚い船大工・雨宮政治郎。そこに法律の専門家はいない。
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