「オネエ」と彼らをひとくくりにするのは随分雑なことではあるけれど、そこをどうかお許し頂きたい。その上で考える。彼ら(彼女たち?)が お茶の間を、いや社会を席巻し始めたのは、一体いつからなんだろう?

 男として生まれたけれど、女性の言葉で話す、いわゆる“オネエタレント”たち。バラエティ番組で、スタジオゲストで、その毒舌や辛口トークを見ない日はない。今回の取材で、時代の分岐点をたどってみると、1人のパイオニアの存在に行き着いた。

 はるな愛は言う。「キワモノ、イロモノと見られていた時代を切り拓いてくれた」。

 IKKOは言う。「うらやましいと思いました。そういう生き方もできるんだって」。

 挙げられた名前は、カルーセル麻紀。

 1974年8月5日、性転換手術を受けた後、男性婚約者との結婚を宣言。その瞬間、時代が確かに動き始めたのだ。時代の分岐点となったその事件を、今回はIKKO、はるな愛、ピーコ、カルーセル麻紀本人の視点から紐解いていく。

釧路から銀座、モロッコ、パリを経て

常識を破り、時代を切り開いたパイオニア、カルーセル麻紀。性転換手術を遂げ、時代の寵児に登りつめるまでには想像を絶する物語があった

 カルーセル麻紀は戦争のさなか、北海道釧路に生まれた。名前は徹男。小さな頃から自分を「俺」とか「僕」とか呼べずに育った。小学校の時のあだ名は「ナリカケ」。とても嫌だったそのあだ名の由来は、男または女の「成りかけ」だ。

 中学生の時に三島由紀夫の『禁色』を読んで、そういう世界があることと、自分に気づいた。そしてテレビで見た美輪明宏を「希望の星」と感じた。二つ上の姉の服を借りて着るのが嬉しかったが、両親は猛反対。15歳から家出を繰り返し、17歳で銀座のゲイバーで働き始める。

 当時、ゲイボーイと呼ばれていた人たちは女装をしていなかったが、徹男は見た目も女性以上に女性らしくすることにこだわった。失恋を機に、体の女性化も進める。舞台やテレビに活躍の場を広げる一方で、完全に女性になりたいと考えて、1973年に性転換手術のためにモロッコへ。そして1974年8月5日、婚約者と共にパリから帰国した。