シリーズ
小川敦生のあーとカフェ

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戦争と暮しを雑誌で見せた花森安治
『暮しの手帖』で表紙絵を描いたのは、花森にとっては魅力的な雑誌づくりの一部だった。逆に言えば、すみずみまで雑誌の制作を極めようとした結果が、魅力的な作画につながったともいえる。
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都知事選から春画まで~パロディの沼を泳ぐ
東京ステーションギャラリーで行なわれている「パロディ、二重の声」展を紹介する。パロディは、本物と思われてはいけない。「何かがおかしい!」と思われれば、元ネタを思い出してもらえなくても成功である。
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猫好きボナールとナビ派
東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「オルセーのナビ派」展を紹介する。フランス近代の画家、ピエール・ボナール(1867~1947年)は、なかなかの猫好きだったようだ。
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油絵とは何か?~アートの本質を語る画家に会う
「ツイッターに作品の写真を載せようとすると“不適切画像”と言われるんです」。こう話す木村佳代子さんが描いたのは花である。自動判別のシステムでわいせつ画像と判断されたことが分かる。
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秋田の武士が描いた絵が本当にうまい
江戸時代中期の秋田藩士、小田野直武が描く絵は本当に「うまい」。西洋絵画の表現を学んだ直武の作品を見ると、西洋的な陰影のつけ方が実に見事だ。塗り直しの難しい日本の絵の具を使っているにもかかわらず、見事な精緻さで描写している…
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原爆投下とダリ
ダリについて、日本との関係においてぜひ知っておくといいことがある。ダリは1945年、日本に原爆が落とされたときにとても驚いた。そして悲しんだという。ただし、被爆した広島と長崎の悲惨な現実を知ったからではなかった。
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杉本博司、資本主義が生んだ廃虚を見せる
「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展を紹介する。カメラ機能を持つ携帯電話やスマートフォンが広く普及している。SNSなど、撮った写真を他者に見せる場も増えた。そんな中で、「写真」の役割を改めて考えるいい機会を提供してくれる。
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民話が生まれる現場がそこにあった
民話はどうやって生まれるのか。そんな現場を目の当たりにできるようなアート作品に遭遇した。場所は、1916年すなわち大正期に建った山形市の旧県庁舎を再活用している山形県郷土館「文翔館」。
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決定的瞬間を捉えた《受胎告知》
西洋の宗教絵画は、キリスト教に知識に乏しい日本人には理解できないのか?こんな疑問を吹き飛ばす作品が来日している。ティツィアーノの《受胎告知》だ。光と陰の対比。鮮やかな色彩。読者の皆さんはどんな感想を持つだろう。
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エミール・ガレのガラス器にへばりついたとんぼ
フランスのガラス作家、エミール・ガレはひょっとすると、日本人に近い感覚を持ったフランス人だったのかもしれない。花市場の近くで生まれ育った彼は花とトンボを愛し、これらをモチーフにした作品を数多く手がけた。日本の茶器に似た作…
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「ポケモンGO」に負けない大妖怪展の楽しさ
この展覧会を見終えて何度も思い出したのが《稲生物怪録絵巻》。何とひょうきんな絵なのだろう。首が途中から手になっている女の妖怪は、下で寝ている男にいったい何をしようとしているのか。
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美が絵ににじみ出た江戸のオタク的学問
博物画というジャンルがあり、動植物がよく描かれる。いわゆる図鑑に載っている類の写実的な絵だ。日本で博物画が盛んになったのは、江戸時代のこと。平安の昔から草は描かれてきたが、写生に基づいた絵を図鑑のように描き並べるのはまた…
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ルノワールはなぜ豊満な裸婦を描いたのか
東京・六本木の国立新美術館で開かれている「ルノワール展」を紹介する。最晩年の作品《浴女たち》に描いた女性は、ぐるぐると筆を回して描くことを楽しんだかのように、裸婦が丸く丸く表現されている。
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画家はなぜヌードを描くのか
黒田は明治中期に渡仏して西洋の絵画技法を学び、帰国して近代洋画界のリーダーとなった。その代表作、《智・感・情》には、西洋のヌードをいかに日本の表現にするか、これでもかというほどの試行錯誤が隠されている。
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無宗教でも楽しめるボッティチェリの宗教画
ボッティチェリの魅力は多様だ。それゆえ、無宗教の鑑賞者でも彼の宗教画を楽しむことができる。魅力の1つはモノの描写の巧みさだ。《聖母子(書物の聖母)》では、書物を触れればめくることができるかのように描いている。
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日本人なのに書を知らないのはいかがなものか
漢字とひらがなが混じった文章を記すようになったからこそ、独自の展開を見せたのが「和様の書」と呼ばれるスタイルだ。一緒に書く漢字にまで影響を与え、日本独特の柔らかな表現の世界を、早くも平安時代から創出していたのだ。
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村上隆が《五百羅漢図》を描いた真の理由を探る
「村上隆の五百羅漢図展」を紹介する。「五百羅漢」という画題は宗教的だが、羅漢や竜、虎などをアニメのキャラクターのように表現しているのは、やはり村上流だ。しかし、芸術という視点から宗教の深層を探ろうとした跡がうかがえる。