東京国立近代美術館で開催中の「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展。企画を担当し、準備を進めていた同館の蔵屋美香企画課長から、以前こんな言葉を聞いたことがある。意外な内容だったのでよく覚えている。「熊谷守一は理系男子だったんです」

 熊谷守一(1880~1977年)は、そもそも〝仙人〟のような画家として知られている。実は本人はそう言われるのを嫌がっていたとも聞く。だが、まずは晩年の白くて長いあごひげの風貌が実に〝仙人〟然としている。カラスが頭の上にとまっていたり、猫と一緒に家の中でごろりと昼寝をしていたりする写真も残っている。油彩画家なのに、書や水墨の作品もたくさんある。

熊谷守一 (1971年 [91歳] 撮影:日本経済新聞社)
熊谷守一 (1971年 [91歳] 撮影:日本経済新聞社)

 文化人としては最高の栄誉とも言える文化勲章が内定したのに辞退し、二科会などの美術団体への所属も途中でやめて孤高の道を歩んだ。こと画壇においては、本当に俗世間を離れたといって、まったく過言ではない。何よりも、後半生の数十年間は、東京・豊島区の自宅からほとんど外出しなかったという。そして97歳の長寿をまっとうした。〝仙人〟と呼ばずしてどうするというくらい、〝仙人〟度が高いのである。

 そんなことを考えながら熊谷の晩年の作品の前に立つと、花や動物をモチーフにした色面と線による極めてシンプルな構成が、まるで悟りを開いた境地の表れのように見えてくる。たとえば1965年の《猫》。奇をてらった面のない、あまりにも日常的な猫の姿を描いている。眠る幸せを象徴するような寝顔を見せており、前足の力の拔けた感じと体全体の緩み方の表現が実に自然だ。

熊谷守一 《猫》 (1965年、愛知県美術館 木村定三コレクション)
熊谷守一 《猫》 (1965年、愛知県美術館 木村定三コレクション)

 晩年の熊谷は数匹の猫と一緒に暮らしていたという。だからこそ、リアリティーがある姿を描くことができたのだろう。〝仙人〟のような生き方をさらに補強するような話をすれば、ほかにミミズクなどの鳥も飼っていたこともあるし、庭では昆虫と向き合うのが日常的だった。その庭で、30年かけて自ら池を掘っていたともいう。ますます〝仙人〟度が増す。では、その熊谷が「理系男子だった」とは、どういうことなのだろうか。

次ページ カメラで高速度撮影をしたような瞬間