サントリー美術館「小田野直武と秋田蘭画」展会場風景(無断転載禁止)
サントリー美術館で開かれている「小田野直武と秋田蘭画」展の会期が始まる前日に開かれたプレス内覧会でのこと。江戸時代中期の秋田藩士、小田野直武(1749~80年)の絵の一枚をたまたま隣で見ていたある出版社の編集者の口から、こんな言葉が出てきた。
「うまいですねえ!」
筆者も共感した。そもそも現代まで残っている絵には「うまい」作品が無数にある。その中で、直武の「うまい」には格別感があった。そこではたと思ったのは、直武の「うまい」とは何だったのだろうかということだ。改めて考えてみた。
「うまい」という言葉は、美術においてはしばしば、具象画において描いた対象が見た目に近く描かれているときに使われる。逆にたとえば人間の顔で目の位置が左右ちぐはぐだったり、鼻が実物の人間にはありえないほど大きかったりすると、「デッサンが狂っている」などと言われてしまう。
とはいえ、最近はピカソのように、写実的ではない描写に個性と創造力があることが広く認知されているので、「下手」っぽい絵も直ちに否定されることはない。しかし、実物に似ていると絵がうまいと言われる状況には、それほど変わりはない。直武の絵に、その「うまさ」があるのは大方の人が認めるだろう。
有名な《不忍池図》(展示は12月12日まで)を、まず観察してみよう。土を入れた大きな鉢の中に花を咲かせた芍薬が植えられている。細かく観察するのが楽しい絵だ。
小田野直武筆《不忍池図》
一面、江戸時代、18世紀、秋田県立近代美術館蔵、重要文化財
展示期間:11/16~12/12(無断転載禁止)
花びらや葉っぱの細密な描きぶりにまず感心する。鉢植えの芍薬の中には、蟻が3匹描かれている。見つけられるだろうか。この写真では恐らく無理だろう。できれば、実物を見てとにかく目を凝らして見てほしいところだ。
西洋的な陰影のつけ方が実に巧みである。この時代の日本の作品として、陰影の表現にたけた例は貴重だ。直武は、蘭学者として名高い平賀源内の導きで、鎖国していた日本の中で西洋絵画の表現を学んだ。ただし、油絵ではない。輸入絵の具も使ったとされているが、塗り直しの難しい日本の岩絵の具による描写の精緻さは、模倣という視点で見ても見事というほかはない。
従来の日本の絵画に比べて、ただ細密であるわけではない。光の回り方までを見極めた陰影法が、立体感を伴うリアリズムの表現に大きくものをいっており、咀嚼の度合いが著しく高いのだ。
さらに興味深いのが、遠景の処理である。実に霞ませ方が素晴らしい。実際に人間の目で見ても、しばしば遠景は霞んでいる。一方、人は遠くを見るときには目を凝らす。極めて自然な行為なのだが、凝らして見た風景とはっきり見える近景を同じ画面に描くのは、実は異なる視点の風景を封じ込めていることになるわけだ。直武は、絶妙な霞ませかたで遠景を自然に見た状態を描き、鮮やかに奥行きを表現している。
近景を大きくクローズアップする手法は歌川広重の浮世絵などで顕著だが、対する直武の絵がリアルに見えるのは、この遠近法による部分が大きい。
「静物画でもあり、風景画でもある。不思議な絵です」
サントリー美術館でこの展覧会を担当した学芸員の内田洸さんの言葉だ。ここには、西洋の絵画とはまた違った独自の感性が生きている。西洋的な遠近法や陰影法を極めながらも、描き方は繊細でまったく押しつけがましくない。優美でさえある。だからこそ、魅力的に映るのだろう。
江戸中期の秋田藩士だった直武は、西洋絵画だけでなく中国の写実画の技法なども取り入れながら、杉田玄白らが翻訳したことで知られる「解体新書」の挿絵を描くなどして腕を磨くも、数え年32歳の若さで亡くなっている。洋風画の作画期間は、わずか7年ほど。しかし、秋田藩主の佐竹曙山らにまでその技法を伝授するなど、大きなきらめきを残している。
杉田玄白ら訳、小田野直武画《解体新書》
部分、5冊のうち1冊(序図)、安永3(1774)年、国立大学法人東京医科歯科大学図書館蔵、全期間展示(無断転載禁止)
佐竹曙山《松に唐鳥図》
一幅、江戸時代、18世紀、個人蔵、重要文化財
展示期間:11/16~12/12(無断転載禁止)
当然もっと長生きしていれば、とは思うが、才能がこうして現代において顕彰されていることをむしろ喜びたい。
小田野直武《鷺図》
一幅、江戸時代、18世紀、歸空庵蔵
展示期間:12/14~1/9(無断転載禁止)
後期に展示される優品
「世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画」展
2016年11月16日~2017年1月9日、サントリー美術館(東京・六本木)
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