ふだんはうっとうしい雨を愛おしいもののように感じさせてくれる絵画作品と出合った。山種美術館で開かれている「川合玉堂」展の出品作《夏雨五位鷺図》である。
川合玉堂(1873〜1957年)は、江戸時代に写生を重視した円山応挙に始まる円山四条派の流れをくみ、明治の初めに生まれて戦後まで活躍した日本画家だ。山間地の水車のある情景など、詩情豊かな日本の風景を素朴な味わいで描くことで知られている。
《夏雨五位鷺図》は明治後期、画家が20代半ば頃に制作した作品だ。くっきりと描かれたゴイサギはなかなかチャーミングなのだが、ここではまず、作品名にもある雨の描写の効果に目を向けたい。画面の余白を埋めるかのように斜めに引いた薄い筋は、おそらく強い風の中で降りしきる雨を表しているのだろう。水辺を覗くためにやや下を向いているゴイサギの体や周囲の木の枝と雨の筋はほぼ90度の角度を成しており、傾きが動的な印象を与える。
川合玉堂《夏雨五位鷺図》(1899[明治32]年、絹本彩色、玉堂美術館蔵)
視線の先にいる獲物を狙っているゴイサギの姿にわが身を乗り移らせて鑑賞できるようなリアリティーは、この描写の妙から生まれているのではないだろうか。さらには雨に身を包まれているような気持ちにもなるのに、なぜかそれを心地よく感じる。実に魅力的な雨の描写である。
雨や霧の表現に関しては、日本の伝統絵画には興味深い例が多い。例えば多数の細い筋で描く雨は、ゴッホが模写したことで知られる歌川広重の《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》などの浮世絵版画に際立つ表現だ。ふだんあまり意識していなくても、実際に降っている雨をその気になって観察すれば、この絵のようにはっきり筋が見える。一方で、空気をかすませるような雨を、玉堂の源流ともいえる円山応挙などが描いた例もある。
《夏雨五位鷺図》で玉堂は、雨そのものとかすんだ空気の両方を描いている。この展覧会の図録に載っている作品解説によると、雨の描写に言及した上で「光を反射する画材をディテール描写に取り入れている」という。雨はやはり玉堂にとって重要な要素だったからこそ、工夫をこらしたのだろう。
《深山濃霧》《雨後》《朝もや》《彩雨》《山雨一過》など、この展覧会には、玉堂が雨や霧の風景を好んだことを思わせる作品が本当に多く展示されている。《水声雨声》は、まさに雨の声を聞こうというテーマで描かれた作品だ。手前に水車を配しているのがいかにも玉堂らしい。
川合玉堂《水声雨声》(1951年[昭和26年]頃、絹本墨画淡彩、山種美術館蔵)展示風景
濃淡を巧みに使った描写は、墨に際立つ特徴
そしてこの絵では、木立の描写が雨にかすんで描かれているのが逆にリアリティーをもたらしている。濃淡を巧みに使った描写は、東洋の画材、特に墨に際立つ特徴だ。玉堂は、霧やもやを表したほかの作品でも、こうした墨の力をうまく生かしている。
玉堂は円山四条派の幸野楳嶺に就いた後、江戸時代の狩野派の系譜にあった橋本雅邦の作風に感化されて弟子入りした履歴を持つ。リアリズムの由来は、まずは写生を重視した円山四条派の画家の下で学んだところにあったようだ。実際、玉堂が10代半ばの頃に写生した猿やふくろうなどの絵を、展示されている《写生画巻》で見ると、巧みさがよく分かる。
川合玉堂《写生画巻》(1889〜90年[明治22〜23年]、紙本彩色、巻子[一巻]、玉堂美術館蔵)展示風景
一方、茫洋とした雨や霧の表現は、細密な写生とは違う。山種美術館特別研究員の三戸信惠さんは、この展覧会の図録に掲載されている論考「風景を捉える玉堂の眼」で、画家が風景を描くのにしばしば取材旅行に出かけたことに触れている。
岐阜県で育った玉堂が子どもの頃から親しんでいたという長良川の鵜飼いを描くに当たって改めて取材したこと、長野県の軽井沢方面を訪れた際の写生帖の存在など、多くの例を引いており、とにかく観察を怠らなかったことがよく分かる。
関連して興味深いのは、玉堂が西洋画のように、立てたイーゼル(画架)の上で日本画を描いていたことへの言及だ。日本の伝統絵画は床などの平らな場所に紙などの媒体を置いて描くのが普通だ。雨が降る屋外でイーゼルを立てて描くことまでは想像しづらいものの、人間が風景を見る視線のままに絵を描いていたところには、リアリズムとのかかわりを見てもよさそうである。
ところで、雨の風景を大いに好んだ玉堂も、本来美しく見られるはずの景色を邪魔した場合はとても残念な自然現象だと思っていたようだ。1942年、日本画の大家、竹内栖鳳の葬儀参列のために京都に出かけた帰りに乗った特急「鷗号」の展望車でしたためた和歌を綴った《加茂女十三首》の中で、窓を曇らせて景色を見えなくした雨を恨んだことが詠まれていたのである。
川合玉堂《加茂女十三首》(1942年[昭和17年]、紙本墨書淡彩、巻子[二巻])展示風景 京都の日本画家、竹内栖鳳の葬儀に参列した帰りに乗った特急「鷗号」の展望車で和歌13首を詠みながら風景を描き添えたというもの。当初は画帖だったそうだが、その後巻物に仕立てられている
車窓から見る風景によほど大きな期待を寄せていたのだろう。もちろん、状況がそう思わせたわけだが、自然を愛し、晩年は奥多摩で暮らした仙人のようなイメージがある中で、なかなか人間らしいエピソードである。
川合玉堂《荒海》(1944年[昭和19年]、絹本彩色、文部省戦時特別美術展[第7回新文展]出品作、山種美術館蔵)展示風景 荒々しい水の表現は、戦時下で「戦意の高揚に資するもの」などの条件がある美術展への出品作だったからと考えられる
「【特別展】 没後60年記念 川合玉堂 —四季・人々・自然—」
2017年10月28日〜12月24日、山種美術館(東京・恵比寿)
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