僧侶に襲いかかろうとしている女の化け物
さて、この波の絵にも実は『北斎漫画』の影を見ることができることに気づいたのは、筆者だけではないはずだ。『北斎漫画』十編に掲載された、椅子に腰掛けて休んでいる旅の僧侶に宙空から襲いかかろうとしている女の化け物の絵である。画面には「祐天和尚」の名などが文字で記されており、和尚が怨霊を除霊する累ヶ淵の説話の一場面を描いた内容と類推できる。この展覧会では、パネルによる複製を含めて複数箇所でこのページの展示があったのが印象的だった。
![葛飾北斎『北斎漫画』十編より(1819[文政2]年、浦上蒼穹堂)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/report/15/061000001/110100052/p8.jpg?__scale=w:320,h:487&_sh=0470870fd0)
『北斎漫画』のこのシーンでは、左上から覗き込む恐ろしい顔の怨霊が、画面下部に描かれた旅姿の和尚に両手でまさにつかみかかろうとしている。一方の《神奈川沖浪裏》では、大きな波が何艘かの舟に襲いかかろうとしている。ここで、両者をじっくり比べる。和尚に襲いかかろうとしている怨霊の姿は、入り組んだ波の描写と重なる。あくまでも筆者の仮説だが、北斎は多くの作品で波や水流を描いてきた中で、ここでは恐ろしい怨霊を波に乗り移らせて、その迫力を描き出そうとしたと考えてもいいのではないだろうか。
そして注目すべきは、北斎がまさに、自分が描いた絵手本を参考に、欧州で幾多の発想源となる秀逸な作品を完成させたことである。これは、絵手本をいかに使うかということを考える上でも興味深い。単に形を描くための参考にするだけでなく、場の空気を表現することに使っているからである。
ドガにしろモネにしろ、欧州に入ってきた北斎のモチーフをそのまま模写するだけでなく、自分の表現を展開するきっかけにした。そしてそれを北斎自身も行っていたことに、妙に感心させられるのである。『北斎漫画』が作家自身というミクロな存在から世界の画家というマクロなレベルで数多の画家の絵手本になったのは、なかなか感慨深いことである。
国立西洋美術館(東京・上野)、2017年10月21日〜2018年1月28日
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