実はシュールではないレアリスム?

 だが、である。ダリはひょっとするとシュールではないレアリスム、つまりリアリズム絵画として、一連の作品を描いたのではないだろうか。核爆弾は、ただそこら辺の物を破壊するだけではない。物質の組成をミクロなレベルで変えることによって成立しているのだ。だとすれば、描いたダリにはむしろ「現実」を描く意識があったという見方も成り立つのではないか。

 この展覧会には、福島県の諸橋近代美術館から出品された《テトゥアンの大会戦》という幅4メートル超の大作が展示されている。画題は、1859~60年に起きたスペイン・モロッコ戦争。

ダリ展会場風景。 サルバドール・ダリ 《テトゥアンの大会戦》( 1962年、304.0×396.0 cm、カンヴァスに油彩、諸橋近代美術館蔵  © Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR, Japan, 2016. )

 顔が虚空になっていたり空を飛んでいる馬がいたり画面の中に数字が浮かんでいたりと、シュルレアリストらしい表現が随所に見られる。しかし、ダリの作品として異質なのは、少し離れて見ると細部が分からなくなるために、戦いの場面を描いたリアリズム志向の絵画に見えることだ。

 ダリの《テトゥアンの大会戦》には、実は元になった作品がある。同じスペインの画家、マリアノ・フォルテュニーが1860年代に描いた同名の作品だ。ダリは14歳のときに見る機会があり、心を奪われたという。そしてこの作品と出会って40年以上経った後、ダリは先達へのオマージュとして同タイトルの大作を描いたのである。フォルテュニーが描いたほぼ1世紀後のことだった。

 フォルテュニーの作品は躍動感に満ちており、まるで飛んでいるかのように走っている馬の描写もある。顔がほとんど真っ黒く塗りつぶされた状態に近い騎馬兵もいる。ダリにとってこの作品は、絵画という“現実の存在”を写し取ったようなものだったのかもしれない。

 そして、中央の2頭の馬の上には、ダリ本人と妻のガラの姿がある。上空にはやはりガラの顔の聖母マリアが描かれている。絵の中とはいえ、なぜ画家夫妻は戦場の真っ只中にいるのか。しかもこの絵には、「ガラ=サルバドール・ダリ」というサインがある。

 ガラはマネージャーのようにダリを支えていたと言われる。2人はいつも、既存の美術界、あるいは既存の社会と戦っていた。《テトゥアンの大会戦》は、そうした2人の生き方を象徴した作品だ。日本での原爆投下に触発された絵を多く描いたのも、2人が社会と戦ったことの表れと見ていいのではないだろうか。

ダリ展

9月14日~12月12日、国立新美術館(東京・六本木)