野原を駆け回ろうとしている風神雷神

 同展には、抱一が描いた《夏秋草図屏風》(東京国立博物館蔵)の草稿つまり下絵が、抱一の《風神雷神図屏風》と並べて展示されている。完成作の《夏秋草図屏風》自体は、実はもともとは光琳の《風神雷神図屏風》の裏に描かれたものだった。ただし、これは今回の発見ではない。現在は表と裏がはがされて別々の屏風に仕立てられ、それぞれが独立した美術品として保管されている。

酒井抱一《夏秋草図屏風草稿》(1821年[文政4年]、出光美術館蔵)
酒井抱一《夏秋草図屏風草稿》(1821年[文政4年]、出光美術館蔵)

 時期も土地も異なる中で活動した光琳と抱一の間には、直接の師弟関係はなかった。とはいっても、先達の絵の裏に後世の画家が自分の絵を描くというのは、今なら冒とく的な行為と言われるだろう。だが、光琳に私淑していた抱一にそんな意識があったはずもない。むしろ私淑の度合いの高さ、あるいは先達の作品への愛の表れと見るべきなのかもしれない。

 さて、今回の“発見”は、廣海さんと話していたある日本画家の言葉の中に出てきたという。《夏秋草図屏風》の左隻と右隻を入れ替えて、光琳の《風神雷神図》と重ねると、風神と雷神が草の描かれていない空間にぴったりはまるのではないかというのである。試しにコンピューター上で図柄を重ねてみると、足の位置などを含めて、見事に重なったという。

酒井抱一の《夏秋草図屏風》の上に、尾形光琳の《風神雷神図屏風》のモチーフを左右逆にして重ねてみた。筆者による輪郭の写しなので粗雑な点はご容赦いただけるとありがたい
酒井抱一の《夏秋草図屏風》の上に、尾形光琳の《風神雷神図屏風》のモチーフを左右逆にして重ねてみた。筆者による輪郭の写しなので粗雑な点はご容赦いただけるとありがたい

 この記事では、輪郭を写した風神雷神の左右を入れ替えて、同じく輪郭を写した夏秋草図と重ねてみた。すると、野原を駆け回ろうとしている風神雷神の姿が現れた。天空で暴れているのとはまた別の、実に生き生きとした場面が見えてきたのである。余白に銀箔を貼った抱一の《夏秋草図屏風》はどちらかといえば静的な印象だが、風神雷神が登場すれば、抱一が描いた草は踏み分けられたようにさえ見え、俄然動的になる。

 はたしてこれは偶然の産物なのか、抱一の意図によるものなのか。意図だとすれば、かなり難度の高い謎解きを仕込んだことになる。断定は難しいが、そこに抱一から光琳への強い愛と、「模写」という行為を超えた創造力の羽ばたきを見出すことは可能だ。また、抱一があえて光琳の絵の裏に自分の絵を描いた理由も、よりくっきりと見えてくるのである。3世紀にわたった江戸時代の琳派の継承は模倣が基本にあるが、想像力の飛翔を見出すのはやはり楽しい。

「江戸の琳派芸術」展
出光美術館(東京)、2017年9月16日〜11月5日
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