女性の人体を模したような土器
とりわけ目を引いた土器があった。深鉢型土器ー群馬県渋川市の道訓前遺跡で出土した縄文中期の“作品”である。特に優れていると感じたのは、器のフォルムである。胴体の上3分の1辺りが、くびれている。縄目は控えめで、くびれ部分の上下のボリュームのバランスが絶妙だ。女性の人体を模したようにも見える。


そこには、例えば古代ギリシャの彫刻作品《ミロのヴィーナス》(ルーヴル美術館蔵)がただ直立した人体を表したのではなく、体をS字型にくねらせたところにえもいわれぬ美の表現を成し遂げていることに通じる、クールな造形を見出すことができる。見惚れるとは、このときの体験のことを言うのだろうか。別の展示室に歩を進めた後にも、何度も見に戻ってしまった。高さは75.5cm。大きさも、人間感を強く持った理由の一つだろう。本当に人体を模したかどうかは、大きな問題ではない。ただ美の形を縄文人が発見したことに感心するのである。
![《土偶 縄文の女神》(縄文時代中期、山形県舟形町西ノ前遺跡出土、山形県蔵[山形県立博物館保管]、国宝)展示風景](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/report/15/061000001/081400061/IMG_3907.jpg?__scale=w:300,h:385&_sh=0fd0160970)
思えば、土偶が美術品として広く認知されるようになったのも比較的最近の話である。曲線美に特徴のあるものもあれば、幾何学性が強くてまるで現代のデザイナーが作ったかのような作例もある。土偶も縄文草創期から作られている。深鉢型土器の人体的な造形も、偶然あるいは気紛れの産物とは言いきれないのではないだろうか。
縄文土器は、一般に「装飾性」という視点で美を語られることが多いように思う。機能美とは対極にあるかのようなごてごてとした造形には、生活の中にいかにインパクトのある飾りを持ち込もうかという意識が感じられる。飾りは生活を豊かにする。この展覧会には、美しい石で作った装飾品なども展示されており、縄文人たちがいかに美しいものを使ったり身に着けたりしながら生活していたかということも分かる。
縄文の美は日本美術史の始まりと捉えてしかるべきだが、その後大陸や欧州からさまざまな美術品や渡来人による表現が断続的にもたらされ、時代ごとに多様な美術が展開する。それゆえ縄文の美は現代人から見れば遠い世界の産物ともいえる。だが、美を愛し、生み出した縄文人のセンスを自分たちの体の奥底から呼び起こすのは、とても楽しく有意義なことのように思える。

2018年7月3日~9月2日、東京国立博物館平成館
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