鉛筆やペンを執拗にぐりぐり動かして描いた

 ジャコメッティが描いた矢内原は、よく知られる彫刻作品のように細い像ではなかった。しかし、“見えるがままに描いた”と言われて単純に思い浮かべられるような写実的な表現をしているわけでもない。ジャコメッティにはいったい何が“見えた”のか。おそらくはそれが、“不思議”をひもとくカギなのである。

 デッサンが見せてくれるのは、鉛筆やペンを執拗にぐりぐりと動かして描いた痕跡だ。ジャコメッティはモデルを前にして何時間も、そして何日も描き続けたという。じっとしていなくてはいけないモデルの側に相当な忍耐が必要だったことは、矢内原も著作の中で述べている。一筆ごとに矢内原を見つめ、しばしば「うまくいかない」「ちっともよくない」と口にする。こうして矢内原をモデルにした鉛筆、そして油彩によるデッサン、さらに彫刻を、実に根気強く制作したのである。

《肘をつくヤナイハラ》(1956〜61年頃、ボールペン、青インク、手帖の1ページ、神奈川県立近代美術館蔵[旧矢内原伊作コレクション])展示風景

 《肘をつくヤナイハラ》というデッサンがこの展覧会に出品されているのを見た。動かずにそのポーズをずっと続けているのがどれほど困難だったか。それを思うだけでも気が遠くなる。それゆえ、普通の職業モデルではなく、弟のディエゴや矢内原のような親しくかつ作家の姿勢に共感した知人がしばしばモチーフになったという。

 これらのことを知ってもまだ、“見えるままに描いた”結果がデッサンや彫刻に表れていると素直に納得するのは難しいかもしれない。ただ、“見えるままに描く”という言葉を頭においてジャコメッティの作品を眺めると、“見る”とはどういうことなのかを改めて考えさせられる。

 人間は、視覚を最大の情報源として生きていると言われる。一方、目から入ってくる情報はあまりに多く、網膜に映る光景について、どのくらいきちんと細かく把握しているかと言われれば、心もとなくなるのではないだろうか。