アルベルト・ジャコメッティ(1901〜66年)の彫刻は、作品の大小にかかわらず小枝のように細い印象を与える。芸術が破天荒な創造に向かった近代以降の個性的な表現の一つであることには間違いないが、やはり不思議である。
たとえば、画家のフェルナンド・ボテロは、ボリュームたっぷりの人物描写がとても愛らしく、魅力的だ。ルノワールも一部の裸婦像をかなりふくよかに描いている。ただ、彼らの描いた人物像は、現実の人間でもありえる太さだ。
一方、ジャコメッティの細さは尋常ではない。あのプロポーションの人体に胃や腸や心臓などの臓器や肋骨などを含む骨格を収めるのは、どう考えても無理である。とはいっても、針金で人間をかたどったようなオブジェとも違う。細いにもかかわらず厚みが確実にあること、さらには肉体が存在することを感じさせる。
それゆえ、「生きている人間を彫刻にした!」というリアリティーが頑として存在している。国立新美術館で開催中の「ジャコメッティ展」は彫刻や絵画で作家の生涯を通覧する内容だが、会場を歩くと多くの作品で細さの個性を貫いていたことが分かる。
ジャコメッティについては、デッサンにまつわる大変興味深い逸話が残されている。1950~60年代に合計228日にわたって数度訪れたパリで作品のモデルを務めたという哲学者の矢内原伊作が、著作の中で、ジャコメッティが絵を“見えるがままに描きたい”と言っていたことに言及しているのだ。
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