フランスのガラス作家、エミール・ガレ(1846~1904年)の代表作に、とんぼの形をあしらった器がある。季節感のある昆虫だが、ガレがあしらったのは、秋の風景の中で飛んでいるような風流な類のデザインではない。大きなとんぼが、側面に大きな存在感を見せて立体的に張りついているのだ。
脚付杯《蜻蛉》
(1903-04年、サントリー美術館蔵、無断転載禁止)
東京・六本木のサントリー美術館で開催中の「エミール・ガレ」展では、会場に入ってすぐの場所に展示されていた。同展の企画を担当した土田ルリ子同館学芸副部長は次のように話す。
「ガレは1904年に白血病で亡くなる。その直前の03~04年頃、5~6つ、とんぼの作品をつくり、友人に形見分けのように贈ったのです」
とんぼの器は、作家自身を象徴する作品だったと想像できる。だからこそ、こんなにも印象的なのだろうか。
《蜻蛉》展示風景。
左に展示されているのは、ガレの工房にいたルイ・エストーの習作《蜻蛉》
(1903年以降、オルセー美術館蔵)
とんぼといえば、日本の神話の世界では日本を象徴させることもある昆虫ゆえ馴染み深いが、もちろんフランスにもいる。一方で、昆虫を愛するのは日本人の特質と言われることがある。少し前に、江戸時代の公卿、烏丸光廣が制作した《虫歌合巻》という絵と書を融合した作品を東京の出光美術館で見た時に、虫を愛でる日本人の趣味がいかに雅なことであるかに思いが及んだ。日本人がガレのとんぼに引かれるのは、そんな感じ方を背景に持っていることもあるのだろう。
フランスには昆虫学者アンリ・ファーブルがいたが、かなり例外的な存在だったようだ。ガレはひょっとするとファーブル並みに変わった、そして日本人に近い感覚を持ったフランス人だったのかもしれない。
欧米では芸術性の視点で工芸は美術よりも一段低く見られる傾向があった。ガレが制作したガラス器にも基本的には花を生けるなどの用途があり、絵画や彫刻など作品そのものを見せることを目的とする美術とは異なる捉え方をされてきた。工芸品であれば、社会のニーズのある図柄をあしらったり、用途に合った形を追求したりするのが一般的だろう。ガレの作品も多くは器ゆえ基本はそうである。だが、究極の部分ではそうではないのではないか。極めて強い美術家としての主張を感じるのだ。
ガレ少年は花市場に面した家に生まれた
おそらくガレの器に最も多く登場するモチーフは植物である。たとえば、花器《カトレア》と花器《氷の花》。両作品とも、大きな花びらをあたかも器にまとわりつかせているかのように表現している。ほとんど彫刻といってもいいほど、それぞれの花は立体的である。
植物をモチーフにした花器が並ぶ会場風景。
左から《氷の花》《茄子》《カトレア》
さらに造形の工夫を感じたのが、両者の真ん中に置かれていた花器《茄子》だ。水を注ぐ首長の部分が、茄子のヘタの形をしている。湧き出るアイデアを楽しみながらのデザイン作業の結果だったに違いない。
この連載を読んでいる人にはまたかと思われるかもしれないが、ガレの表現には、モチーフに対する執拗なほどの「愛」が感じられる。土田氏がこの展覧会のカタログに掲載した論考「エミール・ガレの究極を成し得た5つの柱」によると、ガレの植物への愛は、第一に「生まれ育った家庭環境にあった」。フランス北東部のナンシーの花市場に面した家に生まれ、窓辺からさまざまな花々の到着を見守るのが好きで、室内は家族たちによって、花でいっぱいにされていたという。
花器《フランス菊》
(1881-85年頃、サントリー美術館蔵、野依利之氏寄贈、無断転載禁止)
《フランス菊》は、ガレの父親が生業としていたガラス器および陶器の製造販売を引き継いだ数年後にガレが制作に携わった陶器の一例だ。全体で花を表現した大胆な造形は、一見しただけでは器だとは分からない。菊の花がもともと持っている形をいかにダイナミックに陶器に応用できるかを、ガレが若い頃から探求していたことがよく分かる。一方、2本の横棒を持つ十字の意匠は「ロレーヌ十字」と呼ばれ、普仏戦争に参加したガレの愛国心の表れともいう。ただ表面的な華やかさを作品の上で再現しようとしただけではなく、内奥から湧き出る力強さをも感じる作例だ。
ガレはまた、フランス国立園芸協会やフランス植物学協会の会員となり、植物学者の地位も固めたそうだ。半端ではない気持ちで、植物と向き合っていたのだ。
昆虫は植物に近いゆえに愛好の対象になったと想像できるが、後にガレは海の生物をモチーフにすることもあり、いわゆる博物学の世界に興味を広げている。ガレの表現の根底には植物への愛があり、学者肌の探究心と観察眼を併せ持ち、ガラス器の制作を生業とする中で大胆な造形を試みる意欲が生まれ、きわめてクリエイティブに実を結んだ。工芸だからと美術の下に置くことなどもはや論外と思わせるような表現力は、こうしたいくつものガレの特質が掛け合わされた結果だったのだ。
昼顔形花器《蛾》(1900年、サントリー美術館蔵)およびそのデザイン画(1899年、オルセー美術館蔵)の展示風景。
デザイン画は、まるで蛾が器の周りを飛んでいるように描かれている
昼顔形花器《蛾》で興味深いのは、並べて展示されたデザイン画では蛾が器の周りを飛んでいることだ。蛾の描写が丁寧で写実的であることとは別次元のリアリズムを追求していたのではないだろうか。
日本美術に親しむ
探究心や造形意欲を深めるために大いに寄与したことで忘れてはいけないのは、日本美術の影響だろう。ガレが精力的に活動した19世紀後半のフランスは、浮世絵や工芸品などの日本美術が数十万点のスケールで流入したジャポニスム(日本趣味)の時代だった。土田氏の論考によると、ガレは1867年のパリと71年のロンドンで開かれた2つの万国博覧会で父親の仕事を手伝って、あるいは代理として両都市にそれぞれ半年間滞在する。そして、日本から出展された展示場で、大量の日本美術を楽しむ機会を得た。工芸品などのコレクションも始めたという。
この展覧会の展示の中で、ガレの日本への関心を示す極めて興味深い出品作を見つけた。《銀杏、日本の楓の葉》と題された写生画である。近くには、茶道具の形を思わせる器。表面に枯葉の形があしらわれていた。紅葉を楽しむのもまた日本人の感性に通じる。ガレの作品が日本人を引きつけるゆえんである。
会場には、オルセー美術館からの出品になるたくさんの習作スケッチが展示されている。図鑑のように描かれているが、美しさを存分に表現している。
右の一枚は、《銀杏、日本の楓の葉》と題されている
植物をモチーフにした作品の展示風景。
右の壺は《枯葉》(1900年、サントリー美術館蔵、菊地コレクション)と題されており、東洋陶磁のような器の表面に枯葉のモチーフがあしらわれている
「オルセー美術館特別協力 生誕170周年 エミール・ガレ」
2016年6月29日~8月28日、サントリー美術館(東京・六本木)
※展示替えあり
Powered by リゾーム?