日本の妖怪の絵は、とにかく楽しい。子どもの頃から妖怪をテーマにした映画や漫画、アニメを楽しんできた身ゆえ、そんなことは分かっているつもりでいた。江戸東京博物館(東京・両国)で開かれている「大妖怪展」の会場に足を運ぶと、その想像以上の楽しさが待ち受けていた。作品から作品へと目を移すたびに、ぷっとつい吹き出してしまう。そんなことが続いたのだ。そして、江戸時代辺りの妖怪絵も、「ああ、これはすでに今の漫画やアニメの趣だな」と実感した。
この展覧会では最後にゲームやテレビアニメで今の子どもたちに人気がある「妖怪ウォッチ」の展示室を設け、現代につないでいる。一方、モンスターすなわち化け物をルーツに持つ「ポケットモンスター」に基いて生まれたオンラインゲーム「ポケモンGO」が、奇しくも世の中を騒がせている。だが、江戸以前の妖怪もまったく負けていない。
たとえば、この展覧会を見終えて何度も思い出したのが《稲生物怪録絵巻》。何とひょうきんな絵なのだろう。首が途中から手になっている女の妖怪は、下で寝ている男にいったい何をしようとしているのか。男の方にも怖がっている様子はなく、むしろとぼけているようにさえ見える。寝ている男は、稲生平太郎という16歳の少年。絵巻の全体は、30日間続々と現れる化け物に耐え、化け物たちが立ち去ったという武勇伝なのだそうだ。
《稲生物語怪録絵巻》(部分)
(万延元年[1860年]、個人蔵、三次市教育委員会提供)
※会期中、巻替あり
後ろの掛け軸に描かれている円山応挙風の犬2匹がまた、いい味を出している。まるで妖怪女と男の様子を絵の中から眺めているようだ。豊かな発想の表れである。現代において、すべてのアイデアはすでにあるものの組み合わせから生まれるといわれることがある。この絵は、その典型ともいえようか。パーツパーツを取ると、実在するものばかりだ。そもそも頭と腕から先しかないという奇妙な妖怪を、よく思いつくものだ。
日本人の画家としてはおそらく世界で最も著名な、浮世絵師の葛飾北斎は、数々の怪奇系の絵を描いている。この展覧会の出品作《天狗図》は、特に気が利いていた(展示は終了した)。天狗は空を飛ぶ。だとすると、蜘蛛の巣と巡り合うこともあるかもしれない。しかし画面ではまったくもがく様子を見せず、むしろ悠然としている。余裕で蜘蛛の巣を避けているのだろうか。しかも天狗は通常人間大と認識されているだろうから、蜘蛛の巣としては相当巨大だ。仮にミニ天狗だったとすると、今度は別の想像を呼ぶ。
葛飾北斎《天狗図》
(天保10年[1839]年、個人蔵)
※前期(7月5日~31日)展示
この絵はいわゆる錦絵(浮世絵版画)ではなく、北斎晩年の肉筆画だ。80歳くらいのおじいちゃんがばりばりクリエイティブに画面に向かって達者な筆さばきを見せる姿が目に浮かぶ。なんとも爽快。そんなおじいちゃんになりたいものである。
思えば北斎は、絵師たちが絵を描く際に手本にするために制作した冊子《北斎漫画》の中に、有名な《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》の大きな波の描写とそっくりの形をした化け物の絵を描いている(この展覧会にはどちらも出品されていない)。北斎が持ち前の大胆で柔軟な発想を展開するのに、妖怪や化け物の世界は、まさにふさわしかったのだろう。
北斎が長野県の小布施に滞在した時に深い交流を持ち、弟子とした高井鴻山の才能も、存分に楽しむことができる。北斎とはまた違った興味深い表現を展開しているのだ。
高井鴻山《妖怪図》
(江戸時代、19世紀、個人蔵)
なんともいえない珍妙な姿の妖怪に、これまた見たこともない風体の妖怪がまたがり、宙を飛んでいる《妖怪図》。くちばしがついたもぐらのような2体。しかし、鳥でももぐらでもない。乗っかられているほうの妖怪には、後ろ足がない。いかにして、誰も目にしたことのない存在を絵として描き出すか。現代の実写版のSF映画やスリラー映画でこういう化け物が出てきたら、さぞかし受けることだろう。乗っかっているほうは服を着ているが、もう一方はそうではない。妖怪界では、2体は人間と馬のような関係だったのかもしれない。
高井鴻山《妖怪山水図》
(江戸時代[19世紀]、個人蔵)
※後期(8月2日~28日)展示
鴻山には《妖怪山水図》というアイデア賞ものの珍品もある。ぱっと見は、普通の水墨による山水画。よく見ると、いくつもの妖怪が景色の中に埋め込まれているのだ。鴻山がこれほどのアイデアマンで、巧みな絵描きだったことは、今まであまり知られていなかったのではないだろうか。鴻山の想像力をふくらませ、創造力を開花させたのは、ひょっとすると妖怪の力だったのかもしれない。ちなみに、鴻山は実は地元の豪商である。
今のように明るい電気照明がなく、迷信も豊富だった時代のこと。人々は妖怪の存在を、おそらくかなりのリアリティをもって受け入れていただろう。たとえば《地獄草紙》は、文字通り地獄を描いた宗教絵画だ。
《地獄草紙》(部分)
(江戸時代、19世紀、国立歴史民俗博物館蔵)
鬼に似た化け物が弓矢を持ってたくさんの人間を追っている。これは、やはり怖い。宗教上の教えとしては、地獄は実在し、落ちないよう現世の人間を諭さなければならない。《地獄草紙》は奈良の昔から描かれ、数々の模作が生まれている。説得力のあるテーマだったのだろう。一方、こうした流れから妖怪の表現が生まれるのだ。人間の想像力の豊かさに、ここでも感心する。
河鍋暁斎《暁斎楽画 第三号 化々学校》
(明治7[1874]年、大判錦絵、河鍋暁斎記念美術館蔵)
妖怪の世界にも学校がある…そんな想像の極みとも言える《暁斎楽画 第三号 化々学校》を描いたのは、幕末から明治時代前半に活躍した河鍋暁斎だ。人間の世界で新たに学校教育制度が始まった明治初期、妖怪の世界にも学校ができた。妖怪にもローマ字を教える授業があるとは驚きである。そんな意表をつくユーモアにはっとしながら、人々はこの絵を眺め楽しんだに違いない(妖怪の学校に試験があるかどうかがちょっと気になる)。社会を映す暁斎の発想と表現力は、実に研ぎ澄まされている。
歌川国芳《相馬の古内裏》
(弘化[1844-48年]頃、大判錦絵三枚続、個人蔵)
暁斎の師匠だった幕末の浮世絵師、歌川国芳が《相馬の古内裏》でガイコツの化け物を描いたのも興味深い。しかも、国芳のガイコツは描写にリアリティがあり、想像の産物とは思えない。当時すでに木製のガイコツの模型なども存在しており、少なからず参考にした可能性がある。模型とはいえ現実のガイコツが、浮世絵の表現する空想の世界に飛び込んだと見ると、また楽しい。
伝土佐光信《百鬼夜行絵巻》(部分)
(室町時代[16世紀]、京都・真珠庵蔵、重要文化財)
※後期(8月2日~28日)展示
妖怪絵の真打ちは、《百鬼夜行絵巻》だろう。監修者の安村敏信さんがこの展覧会の図録に掲載した論考「日本の妖怪」によると、「百鬼夜行」の場面は12世紀末頃に成立したとみられる「宇治拾遺物語」に登場し、16世紀に入って絵画化されたという。
この展覧会の後期に展示されている「真珠庵本」は、《百鬼夜行絵巻》の代表作とされ、多くの模本を生んでいる。中でも、琴や琵琶の妖怪が練り歩く描写などは、やはり怖いというよりも楽しい。長い年月使われてきた物に何かが宿っていることの表現は、付喪神(つくもがみ)信仰の表れだ。付喪神は、捨てられた物が人間に恨みをはらすことに端を発しているというが、ひょうきんに練り歩く姿などを見ていると、むしろ愛でたくなってしまう。
伊藤若冲の《付喪神図》も、そんな対象の一つだ。湯のみ、茶釜、茶筅などたくさんの茶道具が、神が宿った姿で描かれている。図版では以前から何度も見ていたこの絵の実物を見て感心したのが、濃淡による陰影表現だ。西洋の絵のように光源が特定できるような表現ではないが、こうした異世界の絵だからなのか、妙に立体感が増しているのである。
伊藤若冲《付喪神図》
(江戸時代、18世紀、福岡市博物館蔵)
※前期(7月5日~31日)
こうして見ると、日本の画家は現実と想像の世界を縦横に行き来していたことが分かる。その自由さが妖怪の世界から見えてくるのである。
展覧会情報
「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」
東京展:2016年7月5日~8月28日、江戸東京博物館(東京・両国)
大阪展:2016年9月10日~11月6日、あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区)
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