レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡

背景には、アルチンボルドの出身地がイタリアのミラノであることが大きく関わっている。そもそもイタリアはルネサンス美術が大きく花開いた地として知られているが、ミラノには15世紀後半に、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが20年ほど滞在していた。その足跡は大きい。
たとえば、壁画として描いた《最後の晩餐》は、キリストがまさにそこにいるかのようなたたずまいを今も修道院で見せ、多くの人を魅了し続けている。筆者が2年前にこの地を訪ねた時には、スフォルツェスコ城博物館でレオナルドが描いたという天井画を修復しているところに予期せずして遭遇し、うれしい驚きを得た。木々の葉が天井を埋める描写が最初は何を描いているのか分からなかったのだが、目に馴染むに連れて森の中に立っているようなリアリティーが心の中を満たすようになった。


アルチンボルドがミラノを生きたのは、レオナルドが同地を去ってほどない時代である。アルチンボルドは残り香をそこここでかいでいたに違いない。レオナルドは、観察の画家である。子どものころは出身地のヴィンチ村で水の観察に余念がなかったという。医学の世界に通じるような解剖図もよく描いた。人物などを描いた数多くのスケッチを見ると、卓越した観察力にうならされる。

そして、アルチンボルドも、顔を構成する花や動物の描写を見れば分かる通り、観察の人だった。写真のない時代、よほどの観察力がなければ、あれほどの描写はできないだろう。当時は、博物画が盛んに描かれた時代でもあった。アルチンボルドは皇帝の動物園や植物園で博物画譜のための絵を描いていたという。博物画は、ルネサンスという時代を経て写実の力を鍛えた画家の腕の見せ所でもあったのではないか。
ちなみに、先ほど例に出した《大地》という作品に描かれたたくさんの動物の絵の中で、ライオンだけは奇妙な雰囲気を漂わせている。目と口の穴の空き方が少々不自然で、全体に皮膚がだらりとしている。その疑問にも答えがあった。どうもこれは生きたライオンではなく、毛皮を描いているらしいのだ。そう知った途端に、このライオンもすさまじいリアリティーを醸成し始めた。
アルチンボルドがモチーフにしたのは生き物ばかりでなかった。たとえば図書館の司書は書籍でできているし、ソムリエは飲料用の器や樽で描かれている。あらゆるものを観察し、克明に描く。匠ゆえの説得力がそこにある。
国立西洋美術館(東京・上野)、2017年6月20日~9月24日
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