現代のテレビや映画でも、声や歌を聴くことによって鑑賞者は感情を揺さぶられ、映っている風景の見方を変える。映像のなかった江戸時代に、音を想起させて鑑賞者の情感に訴える媒体が成立していたことに深い興味が行く。素朴な味わいで描かれた橋やカキツバタをモチーフとした絵自体が風雅。そして宙空を漂う和歌の文字は風景のように美しい。絵と書の融合によって、乾山がいかに豊かな世界を創造していたことかと思うのである。

 同様のスタイルで描いた《紅葉山水図》(MIHO MUSEUM蔵)も、このうえなく雅やかな世界を創り出している。月がぽっこり浮かび、右上から左下に向かって紅葉を散らす木々の立つ山といわゆる光琳模様「流水紋」のうずまきで表現された川は、絵画部分だけを見ても美しい。

尾形乾山《紅葉山水図》(18世紀、MIHO MUSEUM蔵)展示風景。川を光琳模様の流水紋で表すことにより、風雅な趣を増している
尾形乾山《紅葉山水図》(18世紀、MIHO MUSEUM蔵)展示風景。川を光琳模様の流水紋で表すことにより、風雅な趣を増している

 左側の空いたスペースを、川の流れに呼応した筆致で書かれた和歌が埋めている。現代人が文字を読んですぐに和歌の内容を理解するのは難しいと思うかもしれない。それでも「月」「山」「風」などの字はわかるだろう。言葉が編んだ空気を受け止めることは、十分可能だ。そして絵と書の両者が同じ画面に存在するからこそ、まさにそこに歌人がいて歌を詠んでいるような気持ちにさせてくれるのである。

 乾山の雅やかな表現は光琳との近しさを思わせるが、少々とぼけた描写に目を向けるのもなかなか楽しい。たとえば、鎌倉末に書かれたとされる随筆『徒然草』の著者を描いた《兼好法師図》。実に親近感を誘う。ヘタウマの美とでも言うべきだろうか。

尾形乾山《兼好法師図》(=左、18世紀、梅澤記念館蔵)と同《拾得図》(18世紀、個人蔵)が並んだ展示室の一画。多くの画家が描いた中国の禅僧、拾得を後ろ姿の一部で表した水墨表現も興味深い
尾形乾山《兼好法師図》(=左、18世紀、梅澤記念館蔵)と同《拾得図》(18世紀、個人蔵)が並んだ展示室の一画。多くの画家が描いた中国の禅僧、拾得を後ろ姿の一部で表した水墨表現も興味深い

 この作品で庵にこもった兼好法師の絵の余白を埋めるように書かれているのが、隠遁生活のことをしみじみと歌った和歌だ。絵と呼応しているのか、文字も少々なぐり書き風に見える。『徒然草』は江戸時代に人気を博し、乾山はその潮流の中で作品の題材にしたと考えられる。

 だが、実は乾山自身、晩年は郷里を離れて江戸に移り住んでおり、自身の心持ちをなぞらえているのではないかという指摘がある(光琳は乾山より早く江戸に赴いたが、5年で京都に戻っている)。乾山自身が、「八橋」の場面の由来となった「東下り」をしたわけだ。こうして、書で表現された文字が風景とないまぜになった作品にこそ存在する独自の魅力と向き合うのもまた、日本美術の大きな楽しみなのである。

特別展「光琳と乾山 芸術家兄弟・響き合う美意識」

2018年4月14日~5月13日、根津美術館(東京・表参道)

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