神が舞い降りる
この展覧会では、17世紀頃のスペインで「芸術」に対する意識が高まったことに注目し、画家が高貴な職業であることを説いた書物なども展示されている。それゆえ「芸術」という章が設けられているのである。筆者も、芸術の存在意義を改めて考えるいい機会になった。
すぐれた絵画作品が生まれる場において画家に「霊感が働く」あるいは「神が舞い降りる」ことに異論がある人は、あまりいないのではないだろうか。通常の感覚や論理を大きく超えた画家の表現に常人は感嘆し、時には畏怖を感じる。文字を読めない人が多かった時代なら、絵の威力はなおさら強かっただろう。通常なら見ることができない神話や聖書の世界を鮮やかに見せてくれたのである。
たとえば現代人が、史料による検証よりも、吉川英治の小説「宮本武蔵」あるいはその小説をさらに翻案した井上雄彦の漫画「バガボンド」を読んで、剣豪の姿をイメージするように、名画家たちの絵を見て聖書の世界を脳裏に刻み込む人々は多かっただろう。
せっかくなので、同展の出品作から、世界を創造するような力を発揮している作品を何点か見ていこう。
アロンソ・カーノの《聖ヴェルナルドゥスと聖母》は、聖母マリアの彫像から聖人の唇に乳がしたたる奇跡を描いた1枚。現代人が見ると極めて奇妙。まぎれもなく、画家が創った風景である。しかし、現実に同じ奇跡が起きる必要はない。あくまでも「起きた」事実を見せることが大切。絵を見た人々は、神のもたらした真実として奇跡を心の中で受け止めるのである。

音楽にくつろぐヴィーナス
ティツィアーノの《音楽にくつろぐヴィーナス》。こちらの舞台は、ギリシャ・ローマ神話の世界。愛の女神ヴィーナスが裸体で横たわる姿は、ティツィアーノが得意とするモチーフである。エロティシズムが意識されているだろうことを抜きにしても、少し体をねじったヴィーナスの形が見せる曲線美は実に流麗だ。さらにはベッドの布や小型のパイプオルガン、奥に見える庭の風景も実に美しく描かれており、世界の豊かさを感じさせる。

オルガンを鑑賞している最中のヴィーナスのそばに犬が駆け寄っている。犬は忠誠の象徴というが、そうした深読みをする前に、女神だけでなくオルガニストの視線まで犬のほうを向いているところには、むしろ日常性を感じる。それゆえ、神話の世界を描いた空想の産物なのにリアリティーがあるのだ。そして、愛の女神とオルガニストが奏でる音楽が極めて近しい存在であることを、ある種の真実として認識するのである。
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