では、秋山さんの都知事選のポスターはどうなのだろう。何しろ本当に立候補したときに使ったものだ。にせものではない。

秋山祐徳太子の都知事選ポスターの展示風景。左の2枚が1975年、右の2枚が1979年の立候補時のもの

 秋山さんは75年と79年の2回の都知事選に立候補しており、それぞれの年でポスターのテイストが違う。あえて言えば、75年の方がパロディ度は高い。何せキャッチコピーが「保革の谷間に咲く白百合」である。展示された75年のポスターは2種類あり、どちらも漫画調のイラストで秋山さんの顔が描かれているうえ、白百合のような美しさや可憐さを、少なくとも筆者は感じない。

 しかも、ポスターのうちの1枚で、秋山さんはUFO(未確認飛行物体)らしきものに乗っている。おもしろがって投票する人はいても、本気で知事になってほしいと思って投票する人は、さすがにあまりいなそうだ。「立候補」という行為そのものをパロディの対象にしたと考えていいだろう。あえて言えば、くだんのポスターも一般的な存在としての「選挙ポスター」のパロディとして成立している。ただし、それを本当に選挙で使ったことにより、純粋なパロディとは言えなくなっているところが複雑でおもしろい。

パロディにはどんな意味があるのか?

 この展覧会は、主に70年代前後のパロディに焦点を当てている。たとえばお札を題材にした赤瀬川原平の《大日本零円札》ポスターや64年の東京五輪の公式ポスターに想を得た横尾忠則の《POPでTOPを!》(64年頃)、「ゲゲゲの鬼太郎」と「巨人の星」を合体させた漫画、長谷邦夫の「ゲゲゲの星」(69年)、そして70年代に刊行された読者投稿誌「ビックリハウス」。戦後の高度経済成長の中で自由な表現が花開き、パロディも黄金時代を迎えたのがこの時代と読めるが、とにかくよく集めている。

雑誌「ビックリハウス」の展示風景。誌面の大部分が読者投稿で成り立っていたという
長谷邦夫「ゲゲゲの星」(1969年、原画)の展示風景

 おかしみをもたらす以外にパロディにどんな意味があるのかを考えてみた。パロディは、元ネタの人気のバロメーターともいえる。元ネタを思い浮かべて比べることで表現が成り立つことが多いからだ。たとえばお菓子の「グリコ」も都知事選もお札も「ゲゲゲの鬼太郎」も、少なくともパロディが生まれた時点で世の中ではメジャーな存在だった。