ひらがなの面白さを楽しむ

 この展覧会の展示は中国の書との関係に始まっているが、全体としては時代の流れにとらわれていない。たとえば2番目の章にあたる「文人の流儀-面影をうつし、語らう」と題されたコーナーでは、江戸時代の頼山陽や明治の木戸孝允の書を紹介している。専門の書家ではなく、文字を知っている人なら誰でも書くのが「書」だったのだから、文人や学者、政治家の書にも見るべきものは多いはずである。いわば書を支えたのがどんな人々だったのかを、初めのうちに明らかにしようというわけだ。浦上玉堂、田能村竹田、富岡鉄斎ら文人画家の書もここにある。

 「和様の書」が確立した時期である平安時代の書が展示されているのは、4番目の章にあたる「古筆の流儀-日本美の原点から」。たとえば、伝・紀貫之の「高野切第一種」。

伝・紀貫之「高野切第一種」(平安時代、出光美術館蔵)

 たくさんの文字が書かれた中に、漢字が3文字だけ含まれているのだが、分かるだろうか。冒頭の2文字はすぐに見分けがつくだろう。「寛平」と書いてある。もう1文字は、左から2行目の一番下の字。「花」と書いてあるのだが、もはやひらがなと同化していると言ってもいいほど簡略化され、柔らかな筆跡で書かれている。

 こうした作品におけるひらがなのあり方は実におもしろい。象形文字から発展した漢字が日本で簡略化され、記号化した産物がひらがなであるのは周知の通り。しかし、この作品のように、文字の太さの変化や流れ方の緩急がつくと、ひらがなはもはや単なる記号であることを離れようとしているように思えてくる。言葉の意味も超えて、再び造形表現の世界へと飛翔しているのだ。

 「宮廷の流儀-雅びの象徴と伝播」と題した章では、平安の古筆を学んでものにした伏見天皇の「筑後切」などを見せ、優美の継承を説く。「墨跡の流儀-墨戯・遊芸」の章にある一休宗純の「七佛通戒偈」や慈雲飲光の「道在近」、江月宗玩の「賓中主々中賓」は、縦長の一行でそれぞれが大胆な個性を主張している。日本の書が持つこれほどの多様な流儀と多様な景観を楽しまない手はないだろう。