小倉百人一首に採られた歌なので、記憶の底にあるという人も多いと思う。古文を読める人なら意味はすぐに分かるだろうが、ここではあえて現代語訳を書かずにおきたい。以前、笠嶋さんから聞いた解説の中に「書には景観がある」という言葉があり、書かれた文字の意味よりも先に風景として書を楽しむことから始めたいからだ。

 さてこの作品の「景観」はどうだろうか。詠み人の名を書いた漢字に始まる右側部分は文字が太く、主張が強い。一方で、真ん中より左のひらがなが連なる部分は、実に流れが軽やかだ。何とリズム感のある表現なのだろうと思う。ひらがなの中にある「人」という文字の大胆な造形は、書であることを離れ、絵になろうとしているようにも見える。全体としては優美。その中で、極めて変化に富んだ画面が創出されている。

 漢字とひらがなが混じった文章を記すようになったからこそ、独自の展開を見せたのが「和様の書」と呼ばれるスタイルだ。ひらがなはそれだけで独自の世界を作ったのではない。漢字の書き方にまで影響を与え、日本独特の柔らかな表現の世界を、早くも平安時代から創出していたのだ。昭乗のこの作品も、その系譜上にある。

 実はこの作品が展示されているのは、展覧会では6番目の章にあたる「流転する流儀」と題された一画だった。いわば平安時代以来の伝統が熟した桃山から江戸初期の文化の中で花開いたのが昭乗の表現だったわけだ。

 俵屋宗達とのコラボレーションで知られる本阿弥光悦が活躍したのもこの時期だ。同じ一画に展示されている光悦の「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」を見ても、表現が熟していることはとてもよく分かる。墨の濃淡がもたらすアクセントと動き、続け字やくずし字がもたらす変化や流れのありようは、穏やかな天候の下でなだらかな山が連なる山脈の稜線のシルエットでも見るときに感じるような、優美な「景観」をなしている。

本阿弥光悦「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」(桃山時代、出光美術館蔵)