きっかけは、当時月刊誌「芸術新潮」に連載されていた「ニッポン絵合せ」というコラムにあった。美術史家の辻惟雄氏が投げた文章に村上が絵と文章で応える往復書簡的なスタイルのこの連載で、辻氏は五百羅漢のことを数度にわたって取り上げたという。

 折しも江戸東京博物館では、幕末の絵師、狩野一信が描いた100幅の《五百羅漢図》が、辻氏が館長を務める滋賀県のMIHO MUSEUMでは江戸時代の絵師、長沢芦雪が3センチ四方の小さな画面に豆粒のような羅漢をぎっしりと描いた《方寸五百羅漢図》が、各館の展覧会で出品された頃だった。

村上隆《宇宙の産声》(2005年) 2005 ©Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co.,Ttd. All Rights Reserved.
「村上隆の五百羅漢図展」では、村上の絵画、彫刻のほかに、カタールからの展覧会の依頼で《五百羅漢図》を描くきっかけの一つとなった長沢芦雪の《方寸五百羅漢図》などを含めて約50点が展示されている

 釈迦や菩薩などの姿を絵画や彫刻で表すのが主流と目されてきた仏教美術史の中で異色の存在だった「五百羅漢」が、注目を集めた時期でもあった。「芸術新潮」の連載を通じた辻氏とのやり取りの中で、村上の心には五百羅漢のことが刻まれたようだ。

 ちょうどこの年に、東日本大震災が起きた。震災関連のドキュメンタリー番組を見ていた村上は、「(亡くなった)お父さん、お母さんが空から見ているから大丈夫」といった言葉を大人が子どもに語りかける場面に出合い、「宗教発生の瞬間を見た」という。たとえそれが「まやかし」に過ぎなくても、である。そんな日々を過ごす中で、カタールから展覧会の依頼が来る。何度かのやり取りの中で大きな展示スペースが提供され、制作したのが、この《五百羅漢図》だった。

「宗教発生の瞬間を見た」

 記者説明会で村上は冗談を交えて場を和ませながら説明をしていたが、「宗教発生の瞬間を見た」と語る表情には、間違いなく真摯な思いがにじんでいたように思う。また村上は、「宗教と芸術の関係を探っていた」とも話している。

 宗教の場における芸術は、まったく自由な表現が認められているというわけではないだろう。一方で、信者や信者になる可能性のある人々に訴えかける必要がある。芸術家たちが限られた条件の中で魅力たっぷりの作品を数多く生み出してきたゆえんだ。

 漫画やアニメのようなデフォルメに満ちた村上の《五百羅漢図》は、その魅力を感じてもらうための一つの実験とも取れる。だが、実験といえるほど客観的に臨んでいるのかというと、そうでもなさそうにも思える。仮にまやかしのような側面があったとしても、それで人々の心をプラス方向に動かすことができるなら、宗教は務めを果たす。芸術に同じ働きがあるなら、状況によってはやるべきだろう。村上がまったく同じことを考えたかどうかは分からないが、芸術という視点から宗教の深層を探ろうとしたと言えるのではないだろうか。

展覧会情報

「村上隆の五百羅漢図展」
森美術館(東京・六本木)、2015年10月31日~2016年3月6日