たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を見た経験に通じる。画集で見て精緻な構図と変化に富んだ人物表現に感心していたが、イタリアのミラノで実物の前に立った時にはキリストの存在そのものを実感した気持ちになった。

村上隆《五百羅漢図》(部分、2012年) 2012 ©Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co.,Ttd. All Rights Reserved.

 前回のこの連載で、《蝋燭(ろうそく)》などを描いた高島野十郎の作画のあり方を巡って宗教と芸術の関係を考えた。村上の《五百羅漢図》もまた、宗教と芸術の交差する場所にある。しかし、関わり方はずいぶん違う。

 高島が描いた《蝋燭》は数十センチ大と比較的小さく、ほぼ同じ図柄を数十年にわたって少なくとも数十枚、写実的に描いた作品だった。描いた絵は知人に贈っていたというから、特別な思いを込めた画題だったとの類推が及ぶ。高島は仏教に傾倒していた。あるいは、僧侶が経を読むように、カンバスに向き合って筆を執っていたのかもしれない。

村上隆《五百羅漢図》(部分、2012年) 2012 ©Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co.,Ttd. All Rights Reserved.

 一方、村上は、東日本大震災後わずか1年弱で、大作《五百羅漢図》を漫画のようなキャラクターの際立った作品に仕上げた。カタールの王女から展覧会の依頼を受けて制作に臨み、美大生など約200人のアシスタントを動員して完成した。この2人の作品はどちらも宗教に関わりがありながらも、真逆といっていいほどの特徴を持っているのだ。

 《蝋燭》の1点1点を描くのに丁寧に筆を置く高島野十郎の姿を想像すると、実に宗教者のあり方に近く思える。では、村上の場合は画題だけが宗教に関係しており、表層的なのか。そんなことはなく、やはり宗教の本質に通じた何かが見えるのではないかというのが、今回考えを巡らせているところだ。

村上隆が《五百羅漢図》を描いた理由

 ここで、「村上隆の五百羅漢図展」一般公開の前日(2015年10月30日)のプレス説明会で村上が話した言葉をもとに、《五百羅漢図》が制作された経緯を簡単にたどっておく。話は2011年にさかのぼる。