年功序列、終身雇用制度が崩れた今、キャリアの描き方、働き方は画一的ではなくなった。もはや会社任せではいられない。自由度が広がった分、自分自身で「進路」を選択する必要がある。ではどんなふうに行くべき道を見つければいいのか。自ら新たなキャリアを開拓した十人十色のケースをシリーズでお届けする。
第1回に登場するのは、「大手日用品メーカーの役員」と「作家」という二足のわらじを履く上田健次氏。組織の中枢で役員を務め多忙な日々を送りながらも、どのように作家になるという夢を実現したのか。デビューまでの経緯や仕事への向き合い方などを聞いた。
「大手日用品メーカーの役員」と「作家」という二足のわらじを履かれています。まずデビューするまでの経緯を教えてください。
上田健次氏(以下、上田氏):小学館主催の「第1回日本おいしい小説大賞」に応募したことがきっかけです。
私はこれまで20年以上、小説を書いてはコンテストや賞に応募してきましたが、最終選考に残ったことがありませんでした。50歳を目前にして、これが駄目だったら少し(小説を書くのは)休もうと思っていました。これだけ落ち続けて、さすがに心が折れかかっていたのです。その直後、幸運にもデビューの話が舞い込みました。
実を言うと、このときも受賞していないどころか、最終候補にも残っていません。にもかかわらず、出版に至ったのは、文庫の新レーベル立ち上げというタイミングに恵まれて、「新人も何人か加えたい」といった版元の意向があったからではないかと思います。それで選外となった私にも声がかかったというわけです。本当にラッキーでした。
しかも、映像化もされた大ヒット作『君の膵臓をたべたい』を世に出したやり手の編集者が担当についてくれました。彼は転職してきたばかりで多少の余裕があったため、私のような新人についてもらえたのです。こうしてデビュー作『テッパン』は、2021年3月に発売となりました。
書きたい本ではなく、売れる本
もっとも、デビュー作は鳴かず飛ばず、でした。発売から1カ月後、担当編集者と初めて飲みに行ったとき、ずばり「このままだと1作で終わってしまう。すぐ2作目を書いてください。ただし、上田さんが好きな本ではなく、売れる本をお願いします」と言われました。
2作目を書くチャンスをもらえたのですね。
上田氏:それも運が良かった。いい編集者にめぐり合ったと思います。まずは企画を一緒に考えましょうと、毎月1回くらいディスカッションを重ねました。プロット案(ストーリーの要約)を送り、それに対して意見をもらい、というのを10回以上は繰り返したでしょうか。そうして1年以上の月日をかけ、生まれた2作目が『銀座「四宝堂」文房具店』です。

「書きたいもの」と「売れるもの」との間で葛藤はなかったのですか。
上田氏:担当編集者から「作家が書きたいものを書くなら編集者は要らない。作家の筆致を見て、こういうものを書かせると売れるだろうなというのを考えるのが編集者の仕事。そこは信じてください」と言われ、なるほどと思いました。
最初は、どのパートも1.5倍くらいの長さで書きました。それを編集者が「ここは要らない、あそこも要らない」とバンバン切って、半分くらいになったものをまた膨らませて、という作業を経て、最終的に本になりました。こうした工程は全く苦ではなく、面白かった。おかげで物語に厚みが増したと思っています。
2作目の売れ行きが好調で、増刷になったと聞いたときはどんな気持ちでしたか。
上田氏:本当にうれしかったです。会社員的な視点で言うと、増刷にならないということは、出版社にもうけさせていないことになり、ずっと引け目を感じていましたから。
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新設レーベル企画で声がかかった
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