なぜ自分は生きているのだろう。なぜ命あるものは死んでいくのだろう――。そんな疑問を一度でも持ったことはないだろうか。YouTubeチャンネル「一問一答」が人気の福厳寺住職大愚和尚に、そんな疑問を投げかけてみた。果たして答えは?
なぜ自分は生きているのだろう
「なぜ自分は生きているのだろう」「なぜ命あるものは死ぬのか」。こう考えるのは、何も特別な思考ではありません。「生」と「死」は、人類が長い間抱えてきた最大の関心事です。
年を重ねるごとに身近な人が死んでいき、自分の命の有限性を感じるようになります。若いうちはあまり命に限りがあるなどと考えなくても、ある程度の年齢になってくると死は自分事として捉えられるようになります。
一方で、若くても壁にぶつかったり、仕事で大きなミスをしたり、プライベートがうまくいかなかったりしたときに「なぜ自分は生まれてきたのだろう」と思い悩んだことがあるかもしれません。私の元にも「生きる意味が分かりません」といったお悩みは多く寄せられます。

私自身も「なぜ生きるのか」「なぜ死ぬのか」と考えました。大学、大学院と仏教を学び、御本山で修行もしてきました。ただ、それらはどこかで資格を取るための勉強や修行でした。そうではなく、人として修行がしたい。そう感じて本気で自分自身に向き合ったとき、まさに「生」と「死」について深く考えたのです。
「なぜ生きるのか」「なぜ死ぬのか」。答えを求めて師匠に尋ねましたが、答えてくれません。なぜなら、生き死にの答えというのは、人に聞いて頭で理解するものではなく、自ら体得するものだからです。
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